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浄土真宗本願寺派 竹林山 本清寺
本清寺の由緒
1462年に福井県曽万布町に本願寺8代蓮如上人のご勧化を受けた
初代・千田七郎重貞、宗順房空了が聞法の道場を開かれました。その後、教空、慶了、覚順と続いていきます。
この時代に織田信長との戦いである石山合戦が起こりました。覚順は戦死し、息子・慶覚は
慶長7年に顕如上人の御絵一軸と立光寺の寺号を准如上人より賜りました。
第6代・教了、宗玄、智海、智鏡、そして第10代・清徹が寺号を本清寺とされました。
清徹の息子である智證は若くしていのちを終え、第11代・専精が迎えられました。
この専精により今の荒川の地に布教所が建立されました。当時の時代背景を考えると東京には浄土真宗はまったく根付いておらず息子の専壽とともに日曜学校などを開き布教に励まれました。
第13代・眞隆は広島県の音戸町から迎えられました。眞隆もまた真成幼稚園を併設し子どもから大人まで幅広い世代に向けて布教活動を続けられました。現在、その息子である第14代・公隆が住職を受け継いでおります。

浄土真宗とは
聞名(もんみょう)の宗教です。
それは、1人1人のいのちの上にすでに南無阿弥陀佛が
届いていることを【聞く】。ただこれ1つです。
なぜ、頼みもしない、希いもしていないのに届いているでしょう?
佛様が私をどのように知悉され
私をどうすれば佛と出来ようかご思惟くだされた話を
そのまま我が事と聞き開いていく。
これを浄土真宗といいます。

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