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なぜ南無阿弥陀仏が救いになるか?〜お彼岸は明日まで〜

今年に入ってお世話になった方が3名往生されたと思っていましたが

私の知らない所でもう1名往生されていました。1月の年始参りの時にお会いして

翌月末に往生ですからその時のお話が臨終法話となりました。

この度のお彼岸参りの際にもガンの再発により入院されているご門徒さまもいらっしゃり

息子さんにお話を託しました。


浄土真宗のおみのりは・・・


今聞いて今救われるおみのり


今日聞いて今日間に合うおみのり


                  です!!!


その証拠が南無阿弥陀仏であるからです。


もう我が身に届いているからこそ、その口から『南無阿弥陀仏(なんまんぶだつ)』と

称えることが出来るのです。


問題は、何が《救い》なのかが分からない

何が《間に合う》のかが意味不明

このような疑問が生じてしまう事です。


この疑問は、聞いたから起こった疑問です。

聞かなければ疑問が生ぜず、聞いたから生じるならば

聞かない方が良かったと嘆かれた先人もいたと伝わっている程に

悩ませる問題のようです。


という事は、聞けば答えは分かる話であり

分からないからといって見捨てられる救いではないという事も明らかになります。


1回1回が《今の救い》をお伝えする時間ですから

分かろうが分かるまいがお救いの中である事は間違いありません。

ならば、いのち頂戴している間に少しでも悦んでいただきたいという思いがあります。


お墓がすでにあるから・・・

菩提寺がすでに・・・

当分ご法事の予定も無いし・・・

まだ若いから・・・


これが1番時間の無駄になってしまいます。

本当の事を聞いておけるのに

いのちについて準備しておけるのに


大切な話を遠ざけているのがお寺やお墓であるならば

それは佛教を伝える場所と呼べるのでしょうか。


お彼岸は明日までですが最後の1日をどのように使うか。

まだ、間に合います。お寺に参ったら、お墓に参ったら亡き方を偲びつつ


《 ご自身のいのちの往き先 》


                      を坊さんに尋ねてください。


という事で、明日は南無阿弥陀佛が今の救いと言える理屈をお釈迦様の生涯を通して弔(たづね)て参ります。

                                  南無阿弥陀佛


メジロに遭う機会が増えました
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