お仏壇の必要性に迫る!
- 本清寺 浄土真宗本願寺派
- 7 日前
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本日は、遷佛のご縁でした(*´∀`*)
現代では墓終いや宗教離れと人間が【人間】として自立を始めてしまった感が強めです。
お寺からも離れ、おみのりを聞かなくなった人間は果たして人間としていられるのでしょうか?
よく佛教界では常識である言葉として
人間は、他者との関係の中で初めて人間と成れる。
そして、佛教を聞く事によって初めて真の人間と成る《成人式》を迎える。
このような言葉があります。
世間では18歳で成人式が行われていますが、
100歳であっても真の成人式を迎えられた方は少ないでしょう。
その理由の1つがお仏壇です。
皆さん、お仏壇をお仏壇として扱われていますか?

調べると簡単にお仏壇情報が出てまいります。が・・・・
お仏壇にご安置されているのはどなたでしょう?
そうです。佛さまです。
佛さまがご安置されてあるのがお仏壇ですから
お仏壇とは、貴方が佛さまと向き合う場所です。
しかし、佛さまではなくご先祖の御位牌に対して手を合わせてはいませんか?
『 私がこうして元気で上手くいっているのも爺ちゃん婆ちゃんを始め
これまでのご先祖さまのお蔭であります〜。 』
これはこれで結構な事でありますが、これだけでは
自分→亡くなられた方への一方的な報告と感謝にとどまっています。
『 亡くなった方は佛さまでしょ? なら向き合っているのでは? 』
亡くなられた方を佛さまとして敬い仰いでいくのは浄土真宗だけですから
これは簡単に『はい。そうです。』とは言えません。
というのも、亡くなられた方を佛さまとして手を合わせられるのは
ご自身がしっかりと浄土真宗を聞かれたからこそ知る世界だからです。
【亡き方=佛さま】であるならば、佛さまのイメージが皆バラバラですから
好き勝手に佛さまを想像し、自分好みの佛さまを拝む事に繋がっていきます。
つまり、多くの方はこのイメージで手を合わせていらっしゃいますから
やはり自分→亡き方=自分のイメージした佛さま になります。
浄土真宗のお仏壇は、南無阿弥陀佛と今私に届いている佛さまを
自分の眼の前に投影したものです。
今、私に届いているという事は当然、ご先祖にも届いていた事が分かります。
その南無阿弥陀佛の話(お経)を聞いていく中に
なぜ、この佛さまが私に届いているのか?
なぜ、ご先祖を含め一人ひとりに届かねばならなかったのか?
私のいのちは一体どのようになっていくのか?
答えがすでに与えられているからこそ浄土真宗のお仏壇は
私と佛さまの1対1が展開されていきます。
それはつまりご先祖達もそのように1対1を繰り返し繰り返し
おみのりを聞かれてきたからこそ、後の世の縁あるものにも
本当のおみのりに出遇って欲しいという思いからお仏壇が受け継がれてきました。
私がおみのりに遇う事は、そこに佛さまと成られたご先祖や祖父母、両親が一緒であるという世界が必ず拡がってきます。そして、ご自身の子どもや孫にも友人にも伝わっていきます。
どうぞ墓終いはされてもお仏壇終いはされませんように。
本物に遇ってください。
変えるなら今です。
先祖壇、死者壇ではなくお仏壇として蘇らせましょう。
ここまでくれば必要か不必要かはもはや問題ではありませんね(^o^;
南無阿弥陀佛



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