〜ストップ!永代供養〜その選択は・・
最近やたらと増え始めている広告の1つについてストップを。
これは早急に取り組まないと大変な事態になります。
いや、すでになっているかもしれません。
本清寺がある荒川区でも見かけるようになりましたが
台東区や足立区など東京23区でお寺の看板を通り過ぎると・・・
・過去の宗派・宗教は問いません
・家族に迷惑や負担をかけない為に
・ペットとも入れます
このフレーズを見かけない事がなくなりました。
そこに必ずくっついている言葉が《永代供養》です(^o^;
2026年の半分を終えて、ご法事や布教を通して感じていた事を
書き出してみると1番伝えなければならないことが全く伝わっていない課題にぶちあたりました。それは!!
〜佛教の《救い》とは何か?〜
これを伝えるからこそ、正しい問いをいのちある人間に促す事ができます。
では、仏教の救いとは何か? これは意外と簡単なのです。
→ 佛さまに成る、いわゆる成佛。
→ そして、誰が成るか? 私が佛と成ります。
ここからすでに永代供養にストップをかけなければならない理由がスタートしています。
なぜなら永代供養を選ばれる方は、家族に負担や迷惑かけない為に
故人さまの供養をすべて《お寺》に丸投げするという事になります。
つまり供養するのは《お寺に住するものだけ》、僧侶という話になります。
仏教は、私が佛と成る教えですから
僧侶が佛と成る為の一貫として永代供養を勤めるというのは道理にかなっていますが
ご遺族は一体どうなるのでしょうか?φ(..)
永代供養をお願いして安心されてしまって
お寺に参らなくなってしまったのでは本末転倒です。
むしろ薦めるお寺は何を考えているのでしょう?
そして、気になるのが
過去の宗派・宗教は問いません!
いかにも胡散臭い。
宗教は問わないかもしれませんが、宗派というのは仏教宗派の事。
当然、仏教の救いの土台は同じな訳です。
(浄土真宗だった方が永代供養の対象になるという話も出鱈目になってきます実は)
結局の所、納骨する場所が近くて安くて誰にも会わずにお参り出来る、または
お参りするのはお寺に丸投げしようという考えの底には
人間の欲望丸出しの都合の良い永代供養しか残りません。
それは、永代供養という言葉だけを借りて供養にも値しないものになるでしょう。
ましてや教え抜きの供養が成立するわけがありません。
これを選んでしまうのは人間(人情あるもの)として仕方がないかもしれませんが
《選ばせるお寺》の罠にハマらないで下さい。
しっかり教えを聞けばご自身のいのちの意味にとどまらず
ご家族や故人さまのいのちの値打ちに繋がっていく本当の支えとなります。
お寺は、自分自身が教えを《聞く》場所以外に存在意味はありません。
佛教の根源を学ぶからこそ永代供養がいかに難しいことかも分かります。
これは人情ではなく真理の話になります。

南無阿彌陀佛



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