浄土真宗〜知っておくべきそもそも論〜
ご法事や布教で浄土真宗を話していると根本的真實を忘れて当たり前のように
『 浄土真宗はですね〜、南無阿彌陀佛の宗教です。 』
『 南無阿彌陀佛とはこんな意味があります。 』
『 南無阿彌陀佛にはもともとこのような48の願いがありまして。 』
『 南無阿彌陀佛はその昔法蔵菩薩が・・・。 』
覚えた知識をさも自分が知っているかの様にお伝えしてしまっています。(^o^;
それを聞かれた方々も、その時に記憶して知識として蓄えられてしまいますから
次に聞く時は
『 あぁ。それは前回教わりましたから知っていますよ! 』
と覚えた事を持ち出して話しを聞いてしまいます。 が!!!
これが実は話を素直に受け取れなくなってしまう事に多くの方は
気がついていません。かく言う私が最近までそう思っていました(´-`).。oO
これが僧侶の落とし穴・・・
伝えなくてはならないからこそたくさんの事を学びます。
学べば学ぶだけ仏教の仕組みが明らかになっていきます。
しかし、浄土真宗という佛法は、南無阿彌陀佛の話というものは
まずもってどこからスタートするか??
前回、前々回とお伝えしたように本来人間という生き物は
《 佛に成りたい! 》 《 佛が何か? 》を知りません。
まったく知らない私の口から
『 南無阿彌陀佛(なんまんだぶつ) 』と
称えられている所から始まるのです。
そして、それ以外にはその南無阿彌陀佛がどのように作用し、私をどのように変え為されたかという変化は分からないのです。
ここが大切なんです。m(_ _)m
まったく分からない、それはつまり
称えられている南無阿彌陀佛を尋ねるしか方法がないのです。
尋ねるとは、《聞く》という事です。
なぜ、南無阿彌陀佛が私に称えられているのか?
本当は毎日これしか無いのです。
それ以外に私が毎日はっきりと確認できる事実はありません。
たまたま聞いた知識や情報は、記憶した内容を
南無阿彌陀佛という言葉で思い出しているだけです。
現実にある状況は、私には分からない佛法の作用が
その作用の最終的な目的が届いていある事を私に称えられる《南無阿彌陀佛》で
自分の耳に《聞こえてくる》という状況が繰り返されている事だけは間違いありません。
私に称えられているという事は
『 あなたに称えさせよう! 』という心が先にあったからです。
私が称えた言葉ではなく、称えさせようという作用が
私を変化させた姿が『南無阿彌陀佛』と称える姿です。
それは、佛さまが私を喚ぶ聲です。
そこを《聞く》のですから
聲に対する私の対応は
『 仰せのままに。 』と従う姿であります。
つまり、浄土真宗は《聞く》しかないのです(*´∀`*)
聴いたら聴く事に用事がいらなかった、ただ聞こえてくる聲(作用)に
任せるのが浄土真宗なのです。
それをご開山・親鸞聖人は
《 佛願の生起本末を聞きて疑心あることなし 》
と教えてくださいました。
寝ても覚めてもいつでも我称え我聞く《南無阿彌陀佛》から開かれていく世界でした。
聞こえた内容が南無阿彌陀佛の意味であり、南無阿彌陀佛の由縁であるだけです。
知るより先、覚えるより先に
答えが届いているのです。
ゆえにそもそも論ですから今聞いて今間に合う救いとなるのです。

南無阿彌陀佛



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