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〜壊れるものと壊れないもの〜死って?

10月2日
読了時間: 4分

本日は四十九日のご縁でしたm(_ _)m


ご縁というのは不思議なもので

ずっと考えていた点と点がそのご縁によって線となる瞬間があります。

昨日、連れ合い(妻)の祖母のお見舞いに行った時の事も重なり

今日は深い時間を過ごすことが出来ました。


連れ合いの祖母は93歳です。余命幾許という連絡を受け挨拶とお礼を伝えに行きました。

その時のやり取りが最近ひっかかっていた事と同じ状況でした。


【 誰が亡くなるのか? 】


子ども達が祖母に声をかけます。


『 ばぁば、来たよ。◯◯だよ。』


たまに瞼が動きますが寝たきりの祖母の反応はありません。


『 ばぁば。ばぁば。 』と大きな声をかける子ども達。


呼吸はしていますが、寝ています。


食事や水分を取らなくなって4日目。


そこには妻のご両親や義父の兄弟もいらしていました。


つまり、子ども達からすれば高祖母、妻からすれば祖母、妻の親からすれば親です。


入れ替えると曾孫、孫、子が1人の女性であり、人間であるものへ言葉をかけている光景です。


老衰という事を考えると残り数日です。そして、子ども達にとっては記憶に残る年齢になって初めての状況です。そこで親である私は何と子ども達に伝えるべきか・・・


『 ばぁば(お婆ちゃん)は、亡くなったんだよ。 』


これを伝えると人間の常識では当たり前ですが、僧侶である私からすると出鱈目になります。


子ども達からすれば《ばぁば》という存在です。

子ども達が見ている状況は、生命を終えた身体が目の前にあります。


『 《ばぁば》を支えてくれていた身体が終わっていったね。 

  でも、《ばぁば》は終わっていないよ。 

  《ばぁば》は、佛さまに生まれたんだよ。』


これ子ども達には知っておいて欲しいという思いから毎日伝えていますが

当然、まだ分かる年ではありません。


もちろんこれは関係性を入れ替えれば《祖母》も《母》も同じです。


壊れていくもの と 壊れないもの というテーマにした理由はここにあります。


壊れていくもの、言い換えれば《失われていくもの》、《身から離れていくもの》、

これらは生きている間に積み上げてきた人間関係や財、肩書き、知識、経験です。

1番本人が実感出来るのは《自らの身体や精神》が離れていってしまう事でしょう。


これを高僧は、自体愛・境涯愛・当生(とうしょう)愛と教えてくださいます。


自ら生かし続けて生きた肉体が最期に自らから離れていく苦しみを自体愛といいます。

今まで生きてきたけれど周りにいる家族も親友も皆離れていってしまう、財も肩書きもすべて置いていかねばならないことを知ります。(境涯愛)

その時に初めて離れていく《自分》の行き先に不安を抱きます。(当生愛)


壊れていくもの、それはそのすべてに共通している原因があります。


《私が》一生懸命努力して得た知識、地位、財産。

《私が》ずっと可愛がってきた《私の》身体、家族、友達、同僚・・・・。


《私が》と《私の》という執着によって蓄えられたものは、全部身から離れていきます。


そして、それは生者であろうといのち終わろうとする者でも主体から考えると同じ原因になります。

《私の子どもや孫や曾孫》と《私の母、祖母、バァバ》と見ている世界ではお互いがお互いに離れていくもの(壊れていくもの)として受け入れている事が分かります。


さて、【壊れないもの】とは何でしょう?


それは、南無阿彌陀佛です。


《私の世界》がすべて【私が】と【私の】という世界であるからこそ壊れていく、

なぜならそれは無いものを有ると思い込んで描き出している世界である、

《ありのまま》を見ていく事が出来ないゆえに言葉によってレイヤーを重ね、

そういう事にしておきましょうと見て見ぬふりをしている世界になっている、

それを見抜かれた側が


《(私が)、(私の)》で生きていくしかない》(私を)

そのまま真實の世界へ生まれさせる


と届いてくださる言葉が今自分の口に称えられている


 『 南無阿彌陀佛(なんまんだぶつ)。 』 なのです。


つまり、この言葉は、私という人間が創り出したものではなく

佛さまの側が人間へ自ら届いた言葉そのものであるからこそ

決して壊れることがありません。


それは、最期の最期ですべて壊れていってしまういのちの上に

最期まで壊れる事がない確かな依り処となります。


浄土真宗でいのち終えられた方を往生即成佛といえる理由はここにあります。


亡き方と向こうに眺めるのではなく

《私》のいのち中に亡き方と向き合っていける。

それは、先立たれた方が私のいのちと【ともに】ご一緒くださっていることを

自らの聲の中に確かめていける死を超える世界です。


                           南無阿彌陀佛



 
 
 

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