〜変わっていける力〜悲しみを超える
立ち読みをした本の中で世界中の人がGoogleを使って何を検索するか?という興味深いデータを目にしました。
私も毎日のように検索します。例えば、
佛教 東京 お寺
と検索すれば一番上に上がってくるお寺さんが何を発信しているのかを研究します。
このブログを御覧の方ならば私の目標をご理解いただけていると思います(^o^;
中々先は長そうですが、大事なことは何でも時間がかかると思いながら日々前進です!
さて、世界中の人が検索するキーワードの中で気になったのが
悲しみ 悲嘆
様々な悲しみがありますが、その中でも死別に対する悲しみをどのように乗り越えていくかを調べられているという現実に驚きました。
大切な方がいなくなってしまった喪失感、昨日まで・さっきまで話したり触れることが出来た肉体が見えなくなり触れられなくなる毎日。
あの人の聲が聞きたいと思っても聞く事は出来ない。
まだまだ話したいと思ってももう会う事は出来ない。
もっといっぱい一緒に過ごしたかったと思ってももういない。
その喪失感や失望感をいかに克服していけばよいか、答えを調べられているわけです。
しかし、果たしてそこに人間が答えを与えられるでしょうか。
確かにグリーフケアなど悲しみに寄り添う中で段々と悲しみが癒えていく事はあるでしょう。けれどもそれは乗り越えたのではなく薄まっただけではないでしょうか。
私が出会うご縁もこのような方々が多いです。
ここ数年で一気に増えてきました。
その事もあり、早急にお寺の役割を明確に発信しなければという焦りから
《 貴方が参ってくださるお寺を目指して 》
このようなスローガンを立て日々情報発信とご縁作りを心がけているのです。
というのも、この悲しみや悲嘆を唯一本当の意味で乗り越えられるのは佛教しかないと
確信しているからです。
それも、誰かの死後から始まるのではありません。
大切な方がまだまだ健在している今《ともに》、聞いておくからこそ
肉体は終わっても《大切な方》は決して亡くなることはない話と受け止めていくことが出来るからです。
その時間は、亡くなってからではそこからスタートですから時間が同じだけ経過してしまいます。
そうではなくて人間として生かされている間にその時間を費やし準備しておけば
【 起こる状況は変わらない 】
けれども
【 受け止めていく世界が変わる 】
これを伝えたいのです。
同じ喪失感、失望感を人間の常識でただ受け入れていくならば
誰にも分かってもらえない(自分だけにしか分からない悲しみ)は
最後の最後は自分自身でなんとかしなければなりません。
そこに佛教という土台がしっかりあることによって
見えてくる世界は、《それまでのいのちの見え方》の変化です。
人間の知識や慣習に従えば
《 人間は死ぬ。そして、死んだ後はどこかにいく。 》
《 人間は、死んだらお終い。 》
《 人間は、死なない。 》
そのような誰かが信じている世界を自分も信じ込むことによって誤魔化していくことになります。
それは端から見れば、相手を見ているのではなく自分の考えを間違いのないものにしようと
自分を見ている姿に他なりません。
佛教が説く内容は、そう思い込む人間、そのように信じ込まなければならない人間の本質を問題にしています。
つまり、誰かが言ったからそれを信じる、信じないという話ではなく
人間であるものには誰でも通じる問題
ゆえに、通じない人間は1人もいないのです。
そして、縁起という真理は
私という自覚は、私以外の一切のものに支えられている表裏一体
私ある所に一切が繋がっているという事ですから
大切な方、亡き相手という関係は消えることはないのです。
(本人を本人たらしめていた肉体や精神もまた縁起です。)
目に見えなくなる、触れることは出来なくなるけれども
その《相手》がいのちを通して教えてくださった
その真理に自分の目が向いていく時、そこに佛教という土台の上で
《相手》と遇う世界がそこに生じてくるのです。
平均寿命80歳を超え、長生きと言われる人間世界ですが
佛さまの世界は、無量寿の世界。
そこから見ればこの平均寿命は極僅か。
実際、人間同士で会うといっても本当に会っていたのだろうか。
そのような問いが起こってくる反面、人間には
バイアス、特に現状維持バイアスという厄介な仕組みが具わっています。
いくら正しい答えであっても
これまでの自分を守るために
その答えを認めず、むしろ自分を正当化する答えを
集めてしまう習性。
だからこそ佛教は、早め早めなのです。
そして、お寺にたくさんの方が参りその話を皆で聞く理由は、
厳しい話を皆で共感していくことによって
少しずつ頷いていけるからです。
ここからもお寺という場所は
死後では遅く、生前から参る場所なのですm(_ _)m
そのような事を先日荼毘場で見かけた
『 おとうさん ありがとう 』というパネルを持参していたご家族を偲び、
我が子ども達にも本当の世界を伝えていのち終えようと決意したことであります。

南無阿彌陀佛



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