日々是阿彌陀佛〜魂ってあるの?〜
- 本清寺 浄土真宗本願寺派
- 4月17日
- 読了時間: 4分
今週は自分史上毎日仏教アウトプットの連続でした(^o^;
墓前のご法事2日間に始まり炉前葬儀からの布教、布教、そして一日葬。
日頃インプットばかりしているのでアウトプットのご縁は大変ありがたいです。
さて、そのご法事の際に色々な方からいただいたご質問を布教テーマにしました。
気になった質問を挙げてみると
たましい(魂、霊魂)ってあるんですか?
宗教って言っても皆同じでしょ?
神道も仏教も同じでしょ?
充分過ぎる程のご質問でしたので収骨までの空き時間に待合室でお話しましたが
まったく時間が足りませんでしたm(_ _)m
それ程に大きな質問であり、誰しも抱いているけれど
どのように調べればよいか、そして誰を信じれば良いか迷うのかもしれません。
しかし、答えは意外と簡単に分かります。
① 事の発端は何か
② 誰がそれを信じているか
【 たましい 】 と呼ばれるものがいつから名付けられたのか?
たましひ(い)は日本の言葉ですが実は表現は違えど世界中で同じ意味をもった言葉が生まれています。
たとえば魂、霊魂、魂魄、スピリット、ソウル、アートマン、プレタ・・・
どれも原始未開拓科学未発達時代において
生きているもの と 生きていたもの の比較
呼吸や心拍、体温の違いが分かった当時の人々は
「 なるほど。つまり生きている間はこの中に動かす何かがいるけれども
止まったという事は《中にいたものが抜け出したから》だ。 」
このように考えました。医学の知識が無い当時の人ならば当然の考え方です。
そうするとある人はこのような案も出します。
「 不思議な現象はもうひとつあるぞ。寝ている時に見る夢。あれも
やっぱり中にいるものが見させているんじゃないか? 」
皆、納得します。
始まりは・・・人間にとって思考が及ばない出来事に初めて直面した時
初めて【問い】が起こったのです。
理由が分からない時、答えが見つからない時、人間は不安に襲われます。
そして、解決しない期間にバタバタと同じ現象が起こっていく中で
親しかったもの、家族が突然の終わりを迎えたとなると
《納得出来る答え》を設定せずにはいられなくなります。
そこに名付けられたのが【たましひ】でした。
そして、その【たましひ】に善い悪いを与え、不可解な終わりに対して
悪いたましひの仕業であると誰かが言い出しました。
そうする事によって一応安心を得る事が出来た人々が次に編み出したものは
【悪いたましひ】をいかに追い払い、そのたましひを収めるかです。
ここに【たましひとの交信者】という役割が登場してきます。
これは現代の日本でも見受けられる場所がいくつか未だにあります。
実はこの【たましひ】の話は、神道の始まりにも当てはまります。
ここであえて触れる事はしませんが事の発端を探れば必ず答えは・・・
《人間の不安をいかに安心に変えるか》
ここがすべて共通しています。
そして、誰が信じるのか?
安心したい人間であり、信じる自分です。
そこから迷信が誕生しました。
なぜ迷信か? 無いものを有るとして信じているからです。
宗教というのは何もある特定の宗教を信仰するという話ではなく
自分が依り処とする教え、これを中心とした生き方ですから
当然、迷信を信じるという生き方もあります。
しかし、元を探った時に迷信の始まりは人間の不安解消ですから
それは人間を信じている、人間思考が間違いないと信じていることにもなってきます。
今はそれを自分(科学的・合理的)教というそうです。
何を信じているかといえば間違いないと思っている自分を信じているのです。
仏教がずっと残り続けている理由は、その不安を抱えた人間そのものを問題としているからです。
不安をいかに納得できる安心に変える(その場しのぎ・誤魔化し)ではなく
なぜ、不安を抱いているのか?という根幹を解決するのが仏教です。
それを依り処にしていくのですから不安が解決している宗教、安心の宗教と呼べるのです。


ここをテーマに南無阿弥陀佛のお取次ぎのご縁を賜りました。
日々是阿彌陀佛 南無阿弥陀佛



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