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お坊さん(私)が見ている世界〜亡き方の偲び方〜

タイトルが重くなってしまいました(・・;)


しかし、本清寺が目指しているお寺の在り方は


死後から始まるお寺関係の廃絶!!


これ以外にありません。言うならば・・・


《 新しいカタチに見える古き良き本来のお寺 》


つまり、一般常識のお寺のイメージとは正反対。

江戸時代に国が定めた寺檀制度によって関東一体は、死後から始まるお寺関係、死人のお世話役に成り下がってしまった状態のままです。


そうではなくて!! 本来佛教は、いのちいただいている今に聞かせていただくもの。


かれこれ10年以上前からこの計画は動いていますが、いまだに受け入れがたい話のようです。


『 亡くなった方が佛様に成る? 』

『 佛様の世界なんて本当に存在するの? 』


このような疑問が当たり前のように出てくる時点で

今回のタイトルを見かけた方は 『 ?? 』 となるのが目に見えています(TOT)


佛教が説く世界は、地球上に住んでいる生き物が1つの地球という世界に住んでいると考える世界ではありません。


10人が円を作り、その真中にりんごが1つ置いてある。

同じりんごを共有しあっている世界が1つある。

そのような世界を説いているのではないという話。


日本に住んでいる人間は、皆同じ日本に住んでいる訳では無いという事。


大半は、そう思って生きてはいないでしょうか?


だから、先程の疑問が生じてきます。

《 共通の世界や存在が他にある 》

でも、それは見ることも触れることも出来ない・・・


そして、死後にそのような話を聞くからその話を信じるしかなくなる・・・


  そうではないのです!!!


地球に住んでいても、日本に住んでいても、家族同じ屋根の下に住んでいても


私が生き、私が見ている世界は、私独りだけの世界。

同じ世界を見ている人は、誰一人としていない。

その《私》を私足らしめているのが私の周り(内外)のすべてである。


という世界を説くのが佛教です。


ならば、答えは簡単です!!(。・_・。)


私1人の世界にいる《大切な方》が佛に成る。

それは、佛とは何なのか? 私1人とは何か?を

尋ねる中で佛の世界がどこかに有るという話ではなく

私の世界が実は私が描き出しているだけの世界であるという誤りを知り

佛という存在はそれを教えてくださるから私を離れて佛様はいらっしゃらないと気づく。


本当にあるんだろうか?

それとも嘘であろうか?

目に見えたら、耳に聞こえたら信じる!という次元ではなく


自分自身《私1人》と向き合う中に佛さま在(ましま)す。


これを聞けるのは生きている間しかない。

確かに佛さまという活動を知れば、亡き方への供養や回向という行為も考えられなくはないけれど、佛さまを知らないのにそれが出来るとは思えない・・・


だから本清寺の目標は、死後からのお寺関係の撤廃、廃絶。

まずは、この難しい荒川区から少しずつ変えていこうと頑張っています!!

亡き方の偲び方は、いのちいただいている今から準備が必要です。

                                 南無阿弥陀佛


 
 
 

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