お彼岸をご存知?〜シルバーウィークなんて(´-`).。oO〜
シルバーウィークは本日最終日が、お彼岸は今日がお中日。
残り3日もあります(*´∀`*)
しかし、世の中はシルバーウィーク5連休のイメージが強すぎて
お彼岸をご存じの方がどれ程いらっしゃるか少し心配になりました。
もう1つ心配な事は、
お彼岸はお墓参りにいく
と思われている方がたくさんいらっしゃることです。
お盆のイメージもお墓参りですがお彼岸もこのイメージが強く残っています(^o^;
お墓参りは、ご先祖のお骨が納まっていますからお礼や近況報告をされているのだと思いますが、お盆もお彼岸も本来お墓参りが主ではありません❌️
お盆は、ウランバナが語源ですから人間の見方が逆さまになっていることをお寺に参って聞かせていただく時間です。
それではお彼岸は・・・??
お彼岸とは佛さまの世界の事ですから我々人間世界(此岸)と何が異なるのかを
聞かせていただく1週間です。
どちらの期間も佛教を大切にされたご先祖が
『 どうぞ貴方もこの期間に人間というものに目を向けておくれ。 』
と願われ伝えてくださった習慣です。
最近の投稿はずっと人間そのものに焦点を当てています。
その中でも人間の世界というものがどのような世界であるかを考えて見る時に
1番納得出来る代表的なものは
《 言葉によって分けられていく世界 》
親は子どもが誕生すると名前を与えます。与えられた赤ちゃんはまだ何も分かっていませんが成長とともに親が毎日かける名前や言葉によって、その言葉が何を表していくか理解していきます。その間にも様々なものが見え聞こえ触れられていきます。
ある時、 『 これは何? 』 と質問するようになる時がきます。
この時に子どもの頭では
〜きっとこの世界のものにはすべて名前が付いている〜
という思考が芽生えています。
その名前によって引き起こされている事こそ
《 私(自分の名前) 》 と 《 私以外(名前があるすべてのもの) 》
という世界です。
そして、我々人間というものは、言葉によって【考える】事が出来るように
例えば、海をイメージした時に
青い・黒い・波・広い・深い・塩辛い・海の生き物がいる・・・・
と連想する事が出来ますが、その連想出来る範囲は自らが《分かっている》範囲のみであり
それ以外の範囲は《分かりません》。
さらに【青い】と見ていても、見ている人によって青色がどのように表現されるかは分かりません。(日本海と沖縄の海では色が異なります。ましてや海外になれば・・・)
言葉によって離され、その言葉によって《私自体》が離され、《私のいのち》というものが孤立化されます。そのいのちを多くの方は、自分のいのちと考えていきますが果たして
《自分のいのち》と呼べるものがこの世界に存在するのでしょうか?φ(..)
最終的にその《自分のいのち》をさらに分けて《生》と《死》を考えていきますが・・・
あまり深めると頭が混乱しますからお彼岸に戻しますと
佛さまの世界(お彼岸)を一言で表すならば
《分けない世界》
分けない世界とは、すべて繋がっている世界とも言い換えられます。
また、《1つ》とも言えます。
分ける世界では『 《あなた》と《私》 』
分けない世界では『 《あなた》は《私》 』
人間世界は分ける世界、その象徴的なシーンは母と子は最初1つでした。
2つのいのちが1つに繋がっていましたが分娩と言われるように離されていきます。
(実は、母親は分けない世界をトツキトウカ経験しているのです。)
分ける世界で分けない世界の事は考えられません。
なぜなら分けないものを分かった瞬間にそれは《分けられたもの》に属してしまうからです。
ならば我々は分かりようがないのか・・・? というと
そこに《お彼岸》という言葉を尋ねる答えがあります。
我々人間には知ることが出来ない世界を《聞く》事が出来ているのはなぜか?
それは、ただ1つしか答えはありません。
お彼岸からこちらに言葉が届いているからです。
言葉によって世界を創るのが人間であるからこそ
その言葉とは次元の異なる《言葉》でなければ知らせることが出来ません。
その言葉が何であるか?
南無阿彌陀佛
この言葉は人間世界のものではなく
お彼岸から届いている言葉そのものであるからこそ
この世界が《分ける世界》であると教えられていくのです。
それは・・・実は・・・・阿彌陀という名前がすでに答えを表しているように
阿彌陀とは
① 表現することが不可能
② 分けることが不可能
③ 認識することが不可能
④ 妨げることが不可能
⑤ 推理することが不可能
⑥ こちらから手を出すことが不可能
という名前であるように人間が掴んだ(分かった)瞬間に分けてしまうのを見越した上で
『 あなたには私を掴ませません!! 』
と、先手の言葉が先に届いているからこそ
《分けない世界の言葉》が《分ける世界の私》の口に称えられている(言葉)のです。
今、称えられているという自らの姿はまさにその証拠を目撃しているのです。
前回投稿した【家と家の基礎工事】の図はこれを表した図です。
分けない世界に支えられ分ける世界を歩ませていただく、そこに
初めて人から人間へと成長していけると頷ける世界が拡がります。
亡き方を佛さまと仰ぐ、佛さまの世界=お彼岸=お浄土がどのような世界か、
そして私が生まれていく世界というものを今、尋ねていくことが出来る。
だからこそいのちある間に往き先を皆で共有することも可能になるのです。
間違いのない佛さまを依処に歩むいのち、それが浄土真宗です。

南無阿彌陀佛



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