これからのお寺の役目とは?
- 本清寺 浄土真宗本願寺派
- 4 日前
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お寺離れ、墓終いの勢いがますます加速している現代。
家族に負担をかけない為に樹木葬や様々な散骨を選ばれる方々も増えています。
しかし、これで本当に問題解決かというと問題はこれからさらに大きくなるでしょう。
なぜならばお寺が存在する理由はただ1つ、人間が人間であるがゆえに抱える苦悩の解決が
聞ける場所だからです。
つまり、お寺を離れてしまった方々はもちろんお寺の側にも大きな問題があったのでしょうが離れてしまった代償もまた大きく、人間の思考で自分の選んだ答えが間違いないと信じた結果が墓終いや樹木葬に繋がっています。
例えば、樹木葬を選ばれた方はお骨を埋めることによって土に還り、自然と一体化すると考えられているのかもしれません。これをその人の考えとするとご遺族はどのように考えているかといえば世界観は各々バラバラですから自然といっても抽象的でどこに向かって手を合わせれば良いか迷う事になります。御本人は、そこに自分が埋まっていると思い選ばれたかもしれませんが果たしてそこに本当に自分が埋まっているのかどうかわかりません。
話を元に戻しますと人間が人間であるがゆえに抱える苦悩とはまさにこれで、自分がいると
思い込んでいる所に苦悩を抱えていかなければならないと教えるのが仏教です。
私(自分)が成立している理由を尋ねてみれば自分1人では成立していないことが分かります。にも関わらずお骨は間違いなく自分のお骨であると考え、自分で納まる場所を決めてしまっているのです。
今では《死は存在しない》とか《死を考えても意味がない》、《死んだらお終い》という科学的思考が優先されていますが、この答えも皆人間の思考の産物です。
自分の外に自分を置いたり、自分の外の対象物を超越的存在に置くことも同じく・・・
そうではなくその《自分》を問題としているのが仏教ですからこの解決は、死後ではなく
生前です。
墓終いは良いとして、しっかりとそこを説いてくださるお寺をお探しください。




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