本日は49日のご縁でした
- 本清寺 浄土真宗本願寺派
- 16 時間前
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先月1日葬のご縁をいただいたご遺族さまから再びのご縁。
お通夜や葬儀の縁が結ばれてもその次に続いていかないの現代の特徴かもしれません。
しっかりと皆に見送られたから亡き方もきっと喜んでいるはずだ・・・
きっと安心しているに違いない・・・
人間の世界での出来事は、見た目は共有出来てしまうからこそ、そこに大きな危うさがあります。生きている者たちで納得すればそれでいい、いずれ自分の番になった時は同じように
しけくれれば平気だろう。しかし、自分の番の時には何が起こっているか自分では確認できません。
今回のご縁の方は50歳。初めて浄土真宗のおみのりを聞かれる方でした。
親が見送る子の葬儀、夫が見送る妻の葬儀。
平均年齢80歳を超えた今、皆そこまでは生きるだろうと思って(見ないようにしているだけなのか)、まだこれだけ寿命があると想定しています。
《 それまでのいのちを誰が保証しくれますか? 》
お坊さんが良く使うフレーズ。本当の問いかけ。
私の尊敬する布教使の方が
「問いのない所に答えは無い! 問いを忘れた時、人間の成長は止まる!」
このように教えてくださいました。
答えを先延ばしにした結果、問いを忘れてしまった結果
現代、ほとんどの人は答えを知らず去っていかれます。
ですから答えを知るのはご遺族だけです。
これで本当に仏教が成立するのか、ここから抜け出さない限り
死後からの仏教は終わらないでしょう。浄土真宗の僧侶としてこの形は
空しく、もっと早く知ることが出来たのにと後悔の想いしか生まれません。
ご縁が結ばれる事は悦ぶべきことですが、もっと悦べる時間はたくさんあり
多くの方々とその悦びを《ともに》分かち合えるのが浄土真宗。
つくづくこのおみのりの宗教で良かったと自信をもって言える今日です。
お寺の境内のイチョウが色づきました!!




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