top of page
検索

しみじみと佛法を考える毎日〜本当に生きたお寺とは〜

佛教のイメージを本来に元通りにする為に日々生きた佛教を発信しています。

しかし、それを上回るスピードで亡くなられるがいらっしゃり、そこで


佛教は、誰かが亡くなってから関係あるもの・・・


と既存のままの方々が増えていく悪循環。


これがいつの日か逆転してくれる事を心待ちにして・・・

いや、むしろ自分の子が《もしも》お坊さんを志した時に

意味がある状態を残しておかなければならないと気合いを入れ

ご近所から少しずつ巻き込んでいっている現状です。


さて、佛法は生きてると言いましたが、その名の通り


《佛の法則》


当然、力(はたらき)を持っているのです。


例えば、氷を考えてみましょう(*^^*)


【氷は、冷たい】と分かるのは、なぜでしょう?

もちろん触ったから『冷たい!』と分かります。

私が『冷たい!』のはどうしてでしょう?

それは、氷が持っている性質が私に作用したから


『 冷たい !! 』 


となったのです。つまり、


氷が持つ性質→私

氷が私を冷たく変化させた


《そのものが持つ性質と同じ様に触れたものを変化させる》


これが法則ですm(_ _)m


では、佛法に置き換えてみると・・・

まず、その力(はたらき)を知る力が自分にはありません。

その力を得ていく事を教えられた方が、お釈迦様でありました。

※ お釈迦様は佛教を教えたのではなく、発見された佛法を説かれました。それが後々佛教

  になっていきます。


佛法、それは簡単に言えば

佛でないものを佛にさせようと変えていく力です。

氷が私を冷たくした力が氷自身にあったように

佛法は私を佛にさせようとはたらかれているというのです。


でも、本当にそんな力があるの?(^o^;

わからないのに何で力があるって分かるの?


一般的な佛教は、自ら出家し修行して佛法を観ていく力を得ていきますから

正しい指導者につけば身につける事が可能であるのかもしれません。

え? それでは一般人はどうすれば良いの?


ここに浄土真宗の話が出てきます。(*´∀`*)


《そのものが持つ力が相手に伝わり相手を変化させる》


それだけの力が南無阿弥陀佛に具わっているということが浄土真宗のお経、

特に佛説無量寿経では


法蔵菩薩が私を背負い

五劫思惟という長い時間をかけて私というものを考え抜き願いを建て

その願いを必ず成就させると誓われ兆載永劫励まれ南無阿弥陀佛と成られました


《それだけ私を想い、私の為に南無阿弥陀佛となられた時間と願いの力が具わっている》


この力が『私を佛にさせる』とはたらき続けている、これを聞かせていただくのです。


私に力が無くても

私に力を与えようと届いた

南無阿弥陀佛を聞き敬い仰いでいく


それは特別な人だけが佛になれるのではなく

誰でも、どのような人生であろうと、善人悪人老少男女関係なく

今届いているからこそ


佛法が、南無阿弥陀佛が、死後からの話ではなく

いのちある今に聞かせていただき

ともに悦べる時間を過ごしていくことが出来るのです。m(_ _)m


これが本当に生きた佛法を発信するお寺の在り方でしょう。

                          南無阿弥陀佛


 
 
 

コメント


bottom of page