その名は生きてますか?〜法名・戒名〜
昨日は、久しぶりにお通夜からの2日間に渡るご法事でした。
昨今では激減したこのカタチのご法事ですが、増えているのは初七日が来る前に
1日葬に組み込んだり、2日目に含めてしまうものです。
これには賛否両論あるでしょうが、私はどちらでも構わないと思っていますm(_ _)m
それが今回のタイトルです↑
ご門徒さんのお宅にお参りすると必ずお仏壇の中にお位牌がご安置されています。
中には違う宗派からいただいた戒名であったり、時代の習わしから浄土真宗の法名でも
名の下に
信士・信女・居士・大姉 等
の位号が付与されているものが多々あります。
即ち、戒名ならば
◯◯院殿 ◯譽 ◯◯ ◯◯ 居士
院号、譽号、道号、戒名、位号の順で示されるわけですから当然文字数は多くなります。
戒名も法名も生前にいただくものでありますが、やはり世の中の常識から死後にご遺族が故人に授与するものであると勘違いされています。
ちなみに浄土真宗の法名は
釋 ◯◯ 又は ◯◯院◯◯
文字数も戒名と比べてしまうと圧倒的に少ないです。
さて、皆さんはどちらを選ばれますか?φ(..)
生前にご自身が授与しておくべき名と申し上げましたように
故人にプレゼントする名前では本来ありません。❌️
そして、文字数で価格が変わるという話は本来起こりえません。
価格でレベルが変わるという話も聞いたことがありません。
にも関わらず、私が預かるお寺のご門徒の菩提寺、言い方がややこしいですが(^o^;
お墓がある菩提寺は別宗派ですが、日頃は浄土真宗のお勤めをし浄土真宗を支えとされる方がいらっしゃいます。
『 うちの先祖の戒名ウン百万もしてね。爺さんもやっぱりそれくらいだったから
主人は安いのでいいってお願いしたのよ!! 』
と伺い、思わず私は聞いてしまいした・・・
『 え?! そんなに費用がかかったんですか!! ところで・・・』
『 その戒名は生きておられますか? 』
『 ん? 誰が? 』
『 戒名が・・・ 』
『 ・・・ 。手は合わせているよ。 』
この光景は実はこのお宅だけではなく、お仏壇がすでにあるお宅ではよく見かける一連の流れです。
ここに1つの問題が見えてきます。
どれほど
立派で文字数が多く、費用が莫大であったとしても・・・
それが故人への最期のプレゼントとして《相手の為にした行為》と思っているだけならば
それは、戒名であろうと法名であろうと
その名前は、まったく活動せず、眠ったままです。
宝の持ち腐れになってしまいます。
その証拠にせっかく付けた名前の由来がまったく伝わっていません。
もしも伝わっていたならば故人の為に授与した名は実は・・・
《 自分自身 》を佛法に誘い続ける、活動し続ける名になっているからです。
まさに 生きた名
これが本当の法名であり戒名です。
であるからこそ浄土真宗では佛さま(故人)に付ける名前を自分が仰いでいく名になり
戒名ならば仏道修行を歩む行者をご遺族がともに歩ませて頂く名ともなるのです。
それを教えないお寺もおかしいですが
それだけしておけば良いとこれまでの人の常識を疑わない時代もおかしいのです。
せっかく法名をいただかれる方がいるからこそ
私は、本当の事を知っていただきたいのです。
先人は
『 同行を寝かせても南無阿彌陀佛を寝かせるなよ。 』 と教えてくださいました。
南無阿彌陀佛は、私を現場として活動される佛さまであるからこそ
その因を大切にいただかれたすべての方が同じく佛さまとなって
《 私を活動の場 》として生きてくださるのです。
最近よく見かける名を印刷して白木位牌に貼っているタイプがありますが
あれはありなんでしょうか・・・・。
筆と印刷、圧倒的に見た目が変わるのに。

南無阿彌陀佛



コメント