なにはともあれ家族から
- 本清寺 浄土真宗本願寺派
- 3月9日
- 読了時間: 4分
お寺を預かるものとして何より大切に心掛けていることは
《自分自身が浄土真宗(佛法)に身を置くこと》
というのも私自身がお寺というものの意義を勘違いしてきた時間の方が長いですから
この穴埋めの為に約10年程かかりました。(^o^;
ようやく佛教というもの、中でも浄土真宗というおみのりがどのようなものであるか
理解することができました。
問題はここから・・・
理解は出来るけれども現実の実生活にどう役に立つのであろうか?
と考えてしまう誤りに入っていってしまう日々が暫く続きました。
役に立つという考えが、むしろ最初の私の勘違いであったのに
分かったと思ったら再び同じ場所に戻ろうとしている事に気づいていない過ち。
役立つ か 役立たない か
損 か 得 か
善い か 悪い か
この自分の物差しが自分で創り出した自分にだけ通じる価値観で世界を見ていたから
「その見方が間違っていますよ。」と教えてくださったのがお釈迦様でありました。
理屈は納得出来るわけです。
しかし、【 納得と実践 】は次元が異なることに気づくのは再び自分の物差しが復活した時です。
『 あれ? 佛教は分かるけれどそこに身を置けない自分がいるぞ・・・』
ならば浄土真宗のお寺は何を伝えていくのであろうか。
お寺の存在理由にぶち当たります。
つまり私は浄土真宗が分かったと思いながらまったく分かっていないかった事にここで気がつけるのです。
『 そのあなたが最初から目当ての南無阿弥陀佛である。 』
佛教にまったく興味がなかった時の私、佛教を聞いても必要ないと捨てていた自分、
ちょっとかじって分かったつもりになっている私、
そして浄土真宗さえも掴もうとしている自分。
そのすべてを知り抜かれて届く佛さまが浄土真宗の佛さま・南無阿弥陀佛です。
そう頂戴しますと1つの世界が見えてきました。
自分がその過程を経てきたということは、少なからずほとんどの方々もやっぱり同じ過程を
今通過中なのではないだろうか?
特に恵まれた家族に対してこの視点は大きくはたらきかけますm(_ _)m
お寺を支えてくださるご門徒さまを大事にする、どのように大事にするのか聞かれたならば
《ご門徒さますべて南無阿弥陀佛のお浄土に参ってもらい佛様としてご活躍してもらう事》
これ以外に価値はないでしょう。
ならば、ならば!! まずは自分の家族から浄土真宗を好きになってもらわなければ説得力はありません。それ以前に私自身がしっかりと身を置いておかねば伝わるわけがありません。
本願寺第8代蓮如上人のお手紙にこのような言葉があります。
わが妻子ほど不便(ふびん)なることなし
それを勧化せぬは、あさましきことなり
宿善なくは、ちからなし
わが身をひとつ、勧化せぬものが、あるべきか。
自分の家族ほど大切なものはない
その大切な家族に南無阿弥陀佛を勧められないことは悲しいものである
しかし、家族それぞれが佛さまに出遇う縁がなければ勧化の意味もない
だからこそ、まずは自分自身がその見本になるべきなのである
強引に意訳するとこのような感じでしょうか^^;
なにはともあれ家族 からの前に
なにはともあれ自分自身から
その姿が家族に伝わっていくのでしょう。
今朝、このような会話を娘としました。(これが書きたかった為の前フリでした)
早朝から姉弟仲良くテーブルの上におもちゃを大量に出して遊んでいたので
「朝からあなた達はおもちゃばっかり遊んで。まったく。」
すると娘が反論してきました。(これが嬉しかった)
「パパは朝からいっつも なんまんだぶつ ばっかり。まったく。」
ドキッとしました。
浄土真宗を学ばなければならないという思いを優先し
子どもと遊ぶ時間を削り後回しにしている姿が娘に見えていたようです。
これでは将来、子ども達にとっての南無阿弥陀佛の印象が悪くなってしまいます。
何もそれは学問だけではありません。日頃の接し方、言葉掛け、生活態度すべてが
総合的に作用していくはずです。
やっぱり何も分からないまま
私を分かってくださる南無阿弥陀佛を
ただただ 仰いでいくのだなぁと
しみじみ感じました。

南無阿弥陀佛



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