top of page
検索

《やる気スイッチ》

やる気スイッチは入れるものではなく、行動に付随するもの。

だから先に動けばやる気は出てくる。

まさにその通り!!

学生の頃はよくスイッチを探して入らず「明日こそは・・・」なんて先延ばししていたけれど、あの勘違いに早く気づいていれば。とはならないのが若い頃。


しかし、自分でスイッチを入れようとしなくても周りからスイッチを入れられることも多く


最近のインターネット界隈では、誰かの発言に対して簡単に自分の正論を押し付けることが出来る。そして、同じような人が群がり炎上し話題が流れてくることもある。

この坊さん業界(自分だけかな?)でも似たような事が2年に1回のペースで起こる


独り言のように呟いた一言


「 南無阿弥陀佛ってやっぱり有難いなぁ・・・」


どこかの信者「南無阿弥陀佛ということは浄土真宗か何かの方ですか?」


「はい。そうです。」


「どうして南無阿弥陀佛を大切にされるのですか?ご実家がお寺とか?」


「その通りです。育った環境がお寺でした。」


「そうなんですね。でも、南無阿弥陀佛はやめたほうが良いですよ。」


「え・・・そうなんですか。なぜです?」


「昔から念仏無間・禅天魔・真言亡国・律国賊と言われてますから。」


「なるほど。念仏をすると無間地獄に堕ちるのですね。

 でも大丈夫です。地獄に堕とさないのが南無阿弥陀佛ですから。」


「その根拠は何処にあるんですか?お経のどの辺りに書かれていますか?」


「仏説無量寿経です。拡げれば浄土三部経になります。お経の中に48願と呼ばれる

 佛様の誓願が説かれています。その第1願、第2願を調べてみてください。」


「ここのどこに地獄に堕とさないと書かれているのですか?」


「南無阿弥陀佛の世界には地獄等の世界は無いし再び生じる事も無いとありませんか?

 堕ちる以前に地獄は無いと誓われているでしょう。」


「いえ。それは、方便ですからあるけれど無いように安心させているだけです。

 念仏すれば地獄に堕ちます。」


「南無阿弥陀佛がなぜ南無阿弥陀佛に成られたかご存知ですか?

 地獄に堕ちるもの相手に堕とさないお浄土を建立されたのですよ。

 念仏して地獄に堕ちたならば辻褄が合わないでしょう。」


「・・・・。いえ、だって南無阿弥陀佛は架空の佛さまですから。」


「架空ですか?」


「はい」


「ならば文字のやりとりですから伝わりませんが、今その場で南無阿弥陀佛と称えてみてください。


「嫌です。」


「誰にでも称えられる姿を選ばれた佛様が南無阿弥陀佛です。

 『嫌です』という答えは称えられるけれど称えないという自己表明になります。」


「・・・。唱えれば地獄に堕ちますから唱えないだけです。」


「架空ならば堕ちませんから、称えてみてください。」


ここでやり取り終了。ここまで来れば勝手に去っていきますが

この話は実はもっと遡り、違うお経典を持ち出しての長期のやり取りとなりました。


その時にスイッチが入れられました。

日頃浄土三部経を頂いているので他の経典は目を通すことがほとんどない私。

しかし、この時は法華経(!?)を始めとして様々なお経典にも目を向け

再び似たような感じの方々が来たら違う方向にチェンジさせてあげようという目論見から

為聖の教と為凡の教の違いを簡潔に伝えられるよう意識するようになりました。


なかなか強情(答えをすでに固めている)な方は話が通じにくいですが

懇切丁寧に対応していくとこっちの意見は頷かずとも

逃げていく(むしろ学んで再び訪れないかなと期待も)事が分かりました


来年はその周期の年ですから今からわくわくしています。


※ 重要なポイントは依処とするお経典の内容が違いますから

  最初から話は噛み合いません。どうしてもという場合は、佛教の根本箇所で

  話を合わせ相手の経典はここを示し、こちらはすべてを包摂しているお経ですと

  教える。そして、本当にそのお経典が自分自身に見合っているものであるかを諭すのも

  プロの役目なのかなと感じました


 
 
 

コメント


bottom of page