仏教は難しい?〜信じる、信じない関係無し〜
1日葬や四十九日のご法事のご縁をいただく事が多い10月です。
これまで浄土真宗を聞いたことが無い方や改宗をされてたまたま浄土真宗であったりと
様々な出会いをしました。
もちろんどのようなご縁であっても
浄土真宗の要は、今《私》とご一緒くださる南無阿彌陀佛
この事だけは何があろうと必ずお伝えいたします。が!!
それが、一体《私》と何の関係があるんでしょうか・・・
『 今日は、私の大切な親のご法事でして、私の話はお願いしていません。
私は、まだ生きていますからどうぞ先立った親へお話をお願いしますm(_ _)m。 』
このように思われている方が大半ではないでしょうか。
今、私とご一緒であるという事は、当然先立たれた方もご一緒でありました。
それは、私に関係の深い方だけでなくすべてのいのちに届く佛さまを南無阿彌陀佛と申し上げますから《届かないいのち》は無い!!という事です。
では、問題は何でしょう?
届かないいのちは無い!佛さまであるのに
それを知らずに人生を歩んでいるのは誰でしょう。
お釈迦様が佛法を発見されお悟りを開かれた時に悩まれた問題がありました。
それは・・・
すでに人間社会において《私》という自我が生じている者に対して
その常識を覆し、自我を否定する真理が果たして伝わるかどうか。
急に本題に突入してしまいました(^o^;
我々が住んでいる地球にはたくさんの作用がはたらいています。
例えば、火。
最初に《コレ》を発見された方は、『 これは一体何だろうか? 』と問いを起こされたはずです。そして、ゆっくり近づくに連れて
『 あれ? 何だか身体が暖まってきたぞ! 』と思われました。さらに近づき触れると
『 熱い!!! 』と叫んだはずです!!(熱いという表現かは分かりませんが)
なるほど。《コレ》は、暖め熱くさせ燃やす【性質(作用)】を具えているのか。よし!!
《コレ》を 火と名付けようと決めました。

以前にも話した【万有引力】もそうです。発見者は、ニュートンでした。
『 なぜ、リンゴは落ちるのか? 』という問いを持ち研究し
地球は物を引っ張る性質がある!!と発見しました。
(質量を持つ物と物との間には引っ張る力が生じる。)
磁石の磁場に入った釘は、磁石では無いけれども磁石の力を具え
違う釘をくっつけます。磁力もまた作用です。
ご承知のようにこれを一般的に《法則》と呼んでいます。
法則とは、そのものの性質が、その領域に入ったものや触れたものを同じ性質に変えてしまう事です。
そうしますと佛法もまた佛の法則ですから作用があります。
これが難しいと思わせてしまう問題になります。
なぜならば、その作用は今話していた火、引力、磁力とは違う発見場所であるからです。
どの法則も発見者である主体の外側に対象があったから発見する事が出来ました。
『これは、どうして起こるのだろうか? なぜ熱いのか? 』と研究する事が出来たのは
目に見え、触れる事が出来たからです。
お釈迦様が発見された佛法は、どこに発見されたか?
それは、お釈迦様自身の中に発見された法則でした。
お釈迦様自身という事は、人間の仕組み、人間の認識システムを逆観していった時に
根本的な人間そのものの限界に辿り着きました。
《私》という自我を勝手に創り上げ、いのちもまた誤った認識をしている
佛法は、まさにこの誤りを正常に戻す法則の事です。
しかし、すでに出来上がってしまっている自我を正常にする事は至難です。
周りにいる人間はそれが常識であると生活している集団です。
その中で『 あなた達は、いのちの見方が間違っていますよ! 』と言った所で
頭がおかしいのは貴方の方ですよと反論されるのがオチです。
それを乗り超え説かれたのがお経でありました。
ですから、佛法とはどのような性質ですか?と尋ねれば答えは
お経に説かれています。もとより《私》の外側に対象がありませんので
その性質は、《私》には発見する事は不可能なのです。
発見された方が説き、その話しを聞いたからこそお経となって伝わってきたのです。
佛法は、佛の側が佛に非ざる者を《佛にしよう》と作用している法則でした。
であるならば!!!
その話しを素直に聞き受けているものは、教えの通りに実践し
その性質を自らのものとし佛さまと成っていけるでしょう。
そうではなく、むしろ1番の目当ては
佛法がはたらいている事を知らず
聞いても自分には理解できない、難しいと
どんどん離れていってしまう者です。
そしてその者を《佛にする》為には
背き続けているまま法の中に摂り込み
『その貴方を必ず佛にする。』と告げなければなりません。
救われ難き《私》をいかにお救いくださるか。
これが浄土真宗の南無阿彌陀佛のお話です。
それは、佛法がどのように私を変えようとしているかを聞く事に他なりません。
つまり、佛法の性質=佛法の作用=佛説無量寿経=南無阿彌陀佛
佛の作用の中にいる私が称えているお念佛自体が
作用がはたらきかけてその佛の法則に随っている姿なのです。
仏教は、私が信じるか信じないかとい選択の話ではなく
信じるか信じないかなぜ選択しようとしているかという《私》の話です。
南無阿彌陀佛



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