ご法事は様々〜どのような出遇いでも〜
一昨日、昨日と急遽ご法事のご縁がありました。
1つ目は火葬式、2つ目は1日葬でした。
私がいただくご縁は、90%が浄土真宗と縁が無かった方や菩提寺は浄土真宗のお寺だけれども話は聞いた事が無い方です。
そうなると浄土真宗の救いは、南無阿弥陀佛が届き私を佛にすると喚びかけ続けてくださる仰せ(本願招喚の勅命)に随順する所にある他力のご信心が大切になってきます。
それでは、ご縁が無かった方が救われたかどうかどのように判断するのか?が問題になります。
本当に救われたかどうか?
これは、残念ながらまだ人間である者には知りようが無い世界ですから答えは出ません。
しかし、それでは出鱈目か!!と言われればそうでもありません。
ここがポイントです。
①私が見ている世界
②聞いたけれど分からない人の世界
③まったく知らない人の世界
④成佛なんて信じない人の世界
この4つの世界はまったくバラバラな混沌とした世界が入り混じっています。
その中で南無阿弥陀佛を聞き信順したものが見る世界では
1つの答えが見えています。それは
《 南無阿弥陀佛 》が届かないいのちは無い
《 南無阿弥陀佛 》が照らさない場所は無い
ここが聞こえている方には
知らない・分からない・無関心・信じない・賢い・愚か・貧しい・富・善・悪・・・等
どのようなものであろうと必ず届く南無阿弥陀佛であるという世界でいのちを見ています。
ですから
『 あんな人は救われるわけがない! 』
『 これ程立派な人だから救われるはず!』
という自分の判断基準を用いる必要がありませんし、用いることによって
平等の救いを曲解することに他なりません。
火葬式の時にはお孫さんがこのような事を話しているのを耳にしました。
『 お婆ちゃん悲しんでいるだろうな・・・ 』
その一言のお蔭で何らかの事情がありこの場所へ参列が叶わなかったけれどもご存命であると分かりました。ですから短い短い火葬式(火葬炉前の10分程)が終わった後に
ご法話の中でお願いをしました。
『 初めて聞かれて何言っているか分からないかもしれませんが
どうぞお婆ちゃんに貴方の言葉で伝えてあげてください。
お婆ちゃんに南無阿弥陀佛が届いているよ。それはお爺ちゃんも同じって。
それをどう知るか? 南無阿弥陀佛と称えてみて。今、口に称えられているという事が
お爺ちゃんにも間違いなく届いていた証拠だって坊さんが言ってたよって。』
もちろん息子さんやお孫さんにも届いている事をお伝えしました。
そこから《聞く》ご縁が結ばれるかは私には分かりませんが
この話しを知っているかいないかでこれから見ていく世界は大きく変わります。
昨日の1日葬は、64歳で癌と闘病された女性でした。発症は6年前、一時完治したと思った矢先の再発、病院からは治療は不可能と退院を余儀なくされました。
それからの時間は、親子やお孫さんと過ごされ亡くなる前にもしっかりとお話され
涙を流されながら『ありがとう』と言葉を交わされたようです。
予期せぬお別れがたくさんある中でこのケースは珍しいお別れです。
ですが、私は余計な一言を申し上げてしまうのです。
『 どうかこれで終わりではなく、これから始まる世界に耳を傾けて下さい。
◯◯さんを支えてくださった肉体は終わりますが、◯◯さんのいのちは終わりません。
南無阿弥陀佛を聞く中で本当に出遇う世界がこれから展開されます。
どうぞ法名を大切にされ◯◯さんを偲びながらご自身のいのちの話を聞いてまいりまし
ょう。 』
怒られるかなと思いながらも
『 そうですね。 まだ我々は生かされている側ですから孫たちにも伝えていけるように
示していかなければなりませんね。 』と仰ってくださってホッとしました(^o^;
1日の始まりがお念佛で始まる
それが世界で始まる時
それぞれ一人ひとりの世界で始まる時
死んで終わりではなく
佛さまと成られた方が導いてくださる世界が
拡がってきます
その方の人生が私のいのちを支えてくださいます
だからこそ今の歩みが大切になります
悲しいいのち 哀れないのち 残念ないのち
そのようないのちは1つもありません
すべて尊い輝くいのちです
これが実現出来るお寺に
いや出来なければお寺の価値はありませんm(_ _)m頑張ります

南無阿彌陀佛



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