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令和8年は何を依処にしますか?

街の様子を見てみるとどうやら年が明けたようです。

昨日はテレビで紅白歌合戦、今朝は初日の出を中継する番組が流れていました。


明けましておめとうございます!


私が嫌いな瞬間が訪れる日が大晦日から元旦にかけて・・・


12月31日中


「今年1年◯◯な年でした。来年こそは◯◯を達成しようと思います。

 皆さんにはたくさんお世話になりました。良い年をお迎えください。」


12月31日、残り10秒前


10,9、8、7、6,5,4,3,2,1,0、ハッピーニューイヤー♪


1月1日0時

「あけましておめでとうございます。

 昨年中は大変お世話になりました。今年もよろしくおねがいします。」

(午か何かの写真とともに・・・)


そして、初詣ついでに初売りへ。


令和8年は何を依処にしますか?


この一連の流れは、完全に時間や暦を現実化して

それに合わせて誰も疑いなく当たり前のように過ごしています。

それで問題ありませんか?


時間も暦も人間の創作、確かにスケジュールや季節を知るには便利な道具かもしれませんが

実際には無いもの(自然の周期を数字に当てはめているもの)を有ると信じて

発明者の考えを《信じ込んでいる》だけの危険性に気づいていない


日本のカウントダウンは、他の国とは同じタイミングではない事は知っているのに・・


日本人の常識だから時節の挨拶をしておかないと非常識だと思われてしまう

これを《世間教》といいます


日本の慣習がひっくり返り、違う基準で統一されたならば

今までやってきた常識は非常識に代わり、これまでの行いは無駄になります


変わるもの、変わっていく可能性があるものを依処にしていて問題ありませんか?


初売り、初詣、初日の出・・・暦が変わった瞬間からすべてに初が付く

ということはこれまでの事は終詣、終日の出、終売りとでも言うのでしょうか。


すべては連続の積み重ねであり失われることはなく

変化の連続がこれまでも、これからも続いていく


成長とは、変化し続けることをいいます

つまり、私というものは変わり続ける存在という事

この事は《変わらない真実》


令和7年から令和8年に暦が1年変化したのではなく

生まれてくる前から誕生した後もずっと変化し続けていて

暦や時間では測れないほどの深さと価値がすでにある


人間の概念に押し込めて浅いいのちにするのではなく

もっと深いいのちの価値を恵まれてある事を教えるものを依処にしましょう。


※ 十二支、12年で一回り、5回巡ると還暦といって

  お祝いをされますがこれも数字遊びで1年という周期がなければ成立しません

  もともと午もただの記号であったものが今では馬に変わり動物をイメージされる方が多いです

  


                                 南無阿弥陀佛

 
 
 

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