何がおめでたい?〜仏教保育〜
- 本清寺 浄土真宗本願寺派
- 5月19日
- 読了時間: 4分
本日は築地本願寺で宗祖親鸞聖人降誕853年をお祝いする行事
《 しんらんさまとこどものつどい 》
が勤まりました!!
東京に多くある浄土真宗系のお寺の幼稚園の中で4園が集まりお祝いしました。
確実に年々と子どもの参加人数が減少している事が目に見えました・・・
さて、そのような中でこの本清寺にも幼稚園が付属しているので参加いたしました!
(私はだいぶ保育からは離れていますが、行事には顔を出しています。)
そして今年は、甥っ子が代表でおやくそくを担当との事で(*´∀`*)

おやくそくとは・・・
① わたくしたちは、みほとけさまをおがみます。
② わたくしたちは、いつもありがとうといいます。
③ わたくしたちは、おはなしをよくききます。
④ わたくしたちは、みんななかよくいたします。
と4つのおやくそくを唱和する訳ですが、このお約束が中々伝わりにくいのです(^o^;
①のみほとけさまとは、当然、南無阿弥陀佛の事です。
《みほとけさまを拝みます》ですから信仰の対象ではなく礼拝の対象です。
南無阿弥陀佛がいるかいないかという存在を信仰するのではありません✘
今現に一人ひとりの口から称えられる南無阿弥陀佛が佛さまそのものですから
我が身に届いてくださる佛さまを前に安置して礼拝の対象とするのです。
タイトルに『何がおめでたい?』と付けましたが、親鸞聖人が降誕されなければ
我々はこの佛さまを信仰の対象として崇めていました。
しかし、『《我が身》に届き口から称えられる佛さまであるよ。それが南無阿弥陀佛ですよ。』とはっきりと教えてくださったのでおめでたいのです。
② いつも《ありがとう》といいます。これも勘違いされやすい約束です。
この世界は、誰かが何かを私にしてくれた時に『ありがとう。』と使います。
ですからこのお約束の《ありがとう》は、南無阿弥陀佛が私に《何を為してくださったか?》を聞く中に《有難し》という思いが起こってきます。
③は、まさに《おはなしを聞く》という中身です。人の話を聞くというのはコミュニケーション上必要不可欠ですから自然と学ぶことが出来ます。しかし、南無阿弥陀佛の話を聞く事は②を知らなければ【信じるか信じないかは各々自由】という事になってしまいます。
そうではなく、皆に共通している真実。それは子どもも大人も関係ありません。
もうすでに佛さまが私に為された話を聞く、お話をよく聞くというのは、よく聞けるように完成してある南無阿弥陀佛の話を聞くという事です。
④は、1番難しい約束です。『皆、仲良くいたします。』は、平和の為に仲良くしましょうね!という約束ではありません。というのも佛様の話の中身は、我々は独りで生きているのでは無く、他者、他物なくして私無しという話です。
あなたがいるから私は私でいられる、それは繋がっているという事です。
本来、繋がっているのにそれを知らず【この人は都合良い】【この人都合悪い・嫌い】と自分の尺度で相手を測りながら生活していく中にいつの間にか勝手に独りを創り上げている人間がバラバラに暮らしている、だからこそその現実、姿を嘆き哀れんで
『 そのあなたがいるから私は届くんだ。 』とご一緒くださる佛様になられました。
そのような【おやくそく】を幼稚園、保育園園児が唱和している姿はこちらに訴えかけるものがあります。
ある先生の法話の内容は、南無阿弥陀佛の姿である立撮即行のお話でありましたが
このような約束から展開されてくる佛様のお慈悲を
『 あなたを放って置けない 』という姿で示しています。
仏教保育に携わる方、保育者、保護者は是非是非お慈悲を学びましょう。(学佛大悲心)
これは子どもに接する最初の心構えであるとも言えるでしょう。
すべての保育の土台となっていくのが浄土真宗の【まことの保育】といっても過言ではありません。
脳育もアタッチメント等もここから学ぶ事が可能です。
保育研究がようやく仏教に追いついてきたようですねm(_ _)m

南無阿弥陀佛



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