何が佛教を難しくするのか?
- 本清寺 浄土真宗本願寺派
- 2月12日
- 読了時間: 3分
佛法は広めるものではなく弘まるものである!
確かにその通り!! とは頷けるものの
今、頷ける理由は自分が僧侶であり日々学びを深めているから。
その私が相手にしている日頃の相手は、ご門徒さまを除くと
ほとんど初縁で結ばれる方が多いです。
その人々の歴史を分析してみると
① いのちを恵まれ、人間社会に適合していくように勉強し就職し家庭を持っていたり
仕事に生きがいを持たれて人生を謳歌している時代
② 謳歌中に知人や親族の死に目に遭われ初めて法事に参加される。
とてつもなく大きな大きなきっかけによって縁が初めて結ばれる。
それまでは、聞きかじるか教わる程度でまだ必要ないと見向きもしていなかった状態。
③ 年に2回、1回の法事に参加するようになりお経を聞いたり、ご法話を聞いたりする。
④ 聞いた内容に疑問を持ち始める。
佛様って? いのちって? お念佛って?
⑤ 聞けば聞くほど難しく、まったく分からなくなる。
⑥ 3回忌が終わり7回忌という4年間の間にリセットされてしまう。
⑥まで行けば良いほうではないかなと思います(・・;)
何しろ①の期間が長いですから、その期間何を学んでいるかと言えば
いかにして幸せになるか、いかにしてお金を稼ぐか、豊かになるか、ストレス無い暮らしを
求めて日々頑張っているわけです。
そして、たった1回のご縁で
「 佛教は、私の話です。 」
と言われれば(私が伝えているのですが・・・)
完全に思考停止します(^o^;
《佛教は、亡き方の為のもの》という世間的常識で法事に参列したら
《佛教は、私の為?》と聞かされる
「 え ? どういう事?? 」 となってしまうのも無理はありません。
そして、頑張って聞いてみるけれど
聞けば聴くほどジャングルに迷い込んでいくような話に展開していく・・・
一体、何が難しくさせているのか?
答えは簡単です。
この人間社会の常識が難しくさせているのです。
そして、これまで佛教を死人に関係させていた、いや今でもそのように誤解している
知識人やアップデートされていない方によって育てられた方の環境は
やはりお孫さんの代まで同じ現象が起こっていくでしょう。
またそれを後押しするかのように
日本で展開していった仏教集団が死からの仏教(思いやりを込めれば先祖は喜んでいます的な)を薦めますから増々迷う迷う・・・
《佛教は、私の話である》
ここを押さえておけば
今問題となっているお寺離れや墓終い、お仏壇終いがいかに
《佛教は私とはまったく関係ない》と思われているから
起こっている現象であるかは明らかです。
そして、その原因は教えを説かなくなったお寺や
格安を奨めるたくさんの死後ビジネスの参入であることも明白です。
一人でもこの現実に目が向いてくれる事を願ってやみません。
もっと早く気づけるものがタイムリミットを迎えて知らずに終わるのは非常に勿体ないです
南無阿弥陀佛




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