初大阪でのお育て〜一日葬法事
- 本清寺 浄土真宗本願寺派
- 4月26日
- 読了時間: 3分
新生活、新年度の4月も終わりに近づきました。昨日のニュースでは
ゴールデン・ウィークが始まったそうな(^o^;12連休!?
今月はこれまでのご縁を上回る程の方々とご法事を賜りました。
しかし、そのほとんどは亡き方を偲びながらのものでもありました。
お釈迦様が発見された佛法は、今を一瞬一瞬を大切にいただく真理でありながら
本当に大きな出来事に遭遇しなければ《気づく事ができない》という所に
人間の大問題があるのだなと改めて思わざるおえません。
一昨日(24日)に大阪の高槻市にある光明山 願行寺に参りました。
永代経法要でのお取次ぎでありました。一般的には永代供養法要と間違われますが
永代経 です。
供養と何が違うか? まったく方向が違います。
なぜならば供養であるならば ご遺族→亡き方になりますが
経ですから 亡き方(浄土真宗の佛さま)→我々(人間)です。
先立たれたご先祖方がたくさんのご懇志をお寺に寄付くださりお寺が維持されていきます。
そのお寺に子孫や縁ある方々が参って佛様の話を聞いて欲しいという願いが込められた法要が永代経法要です。
そこまでしてお経を聞かなければならない理由とは・・・?
お経という字、これは正しくは

地下水が地上に組み上げられている様子を表している漢字です。つまり、
気づかずに過ごしている間にもずっと流れている真実が何かのきっかけを通して
我々の上に現れるという事です。
① 久 ② 通 ③ 由
と意味を示されてあるように
久しくとは・・・変わることがない普遍
通じるとは・・・時代や場所、そして誰にでも通じるもの
最後の由は、経由の由です。
【 ここを経由する事によって初めて成立する 】
これが大切です。ご先祖がなぜ佛教を聞いて欲しいと願われたのか?
人間社会で生きるものは人間の思考、行動、理性が正しいという思いがあります。
この【間違いない】と思っていた考えが揺らぐ事がある、それが大きなきっかけとなる
大切な方の【死】です。死という言葉や概念は考える事が出来ても本当にいのち終わるという事は何も分かってはいない、知っていると言いながらほとんど知っていないのが実は人間という生き物です。
お経を経由して初めてその【人間】が、まことの人間になれるのだよとこのようなご法要を
勤めてくだされたのが先人です。
1泊準備をして向かいましたが行きの新幹線で翌日の一日葬ご法事の連絡が入り
日帰りとなりましたが大変尊いご縁となりました。
94歳でご往生のお母様を偲ぶ3名のご兄妹が勤めるご法事でした。
そこにはお子様やお孫様まで勢揃いの賑やかなご法事でした。
いつ本当の話を聞いておくのか?
それは、早い遅い関係ありません。
老少不定、この身体は必ず終わっていきます。順番は関係ありません。
だからこそ小さな頃から親子ともどもに本当の話を聞いておく中に
そのいのちがご縁となって自らが佛法に向き合う機縁が育てられていきます。
人間として生まれた時からが実は佛法聴聞(佛様の話をきく)の始まりであります。
南無阿弥陀佛




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