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南無阿弥陀仏の救いに迫るシリーズ〜法事の意義とは〜

更新日:3月26日

なぜ、南無阿弥陀佛が救いとなるのか?

考察する現代において誰しも気になる事柄なのではないでしょうか?


最近読んでいる本の中に


【 人間という存在に問いを持つ人がいるだろうか 】


このような言葉がありました。

親を縁に赤ちゃんとして誕生し、育てられ、気がつけば大きな人になってしまっている者にとってわざわざ人間に問いを持つ必要性が生じるでしょうか。

問いは起きるけれど【自分自身】【人間】というものに問いを起こす人は稀であるはず。


前回宣言したように、まずは南無阿弥陀仏の救いに入る前に


佛法を発見されたお釈迦様の話》


が要になってくるので3段階でお伝えしますφ(..)


① 誕生〜29歳

② 29歳〜35歳

③ 35歳〜


本日は①です。3段階に分けた理由は、①出家以前、②出家後、③成道後が大切になるからです。


さて、出家以前のお釈迦様の暮らしといえば一国の王子様でありました。

衣食住が満たされお城の中は健康で元気なものや美しい方で溢れていたと聞きます。

現代で言うならば富裕層にあたるでしょうか。それに加え権力や地位、名誉もありました。

羨ましい程に恵まれている環境です。


そのお釈迦様が出家を決意された出来事に四門出遊(しもんしゅつゆう)があります。

東の門から出ると《老い》の姿を見て

南の門から出ると《病い》の姿を見て

西の門から出ると《弔い》の姿を見て

北の門から出ると《沙門》の姿を見られました。


つまり、初めて、初めて、生まれて初めて老病死の姿を目の当たりにされました。

その時に友人が教えた当たり前の事実、これがポイントになります。


例えば、生まれてからこれまでに《ものが下に落ちる》現象に疑問を抱かれた方はいるでしょうか?

地球上ならばどこにいても物を落とせば下に落ちます。誰が落としてもいつ落としても下に落ちる現象に疑問を持つ人はいないでしょう。その中でたった1人疑問を持った方が

ニュートンでした。

ニュートンが発見する前から《万有引力》は作用していましたが、


当たり前であった為に


誰もそれを問題にしませんでした。


今、お釈迦さまが《老病死》を見て出家を決意された理由を考えてみてください。

我々は生まれたものが年を重ね、病を患い、そして死を迎えることを当たり前と思っています。その事に誰も疑問を持っていません。

この人間の常識を間違いのない答えであると信じて生きている事に疑問を抱いた方がお釈迦様でありました。


お経の中ではそれを


見老病死 悟世非常(けんろうびょうし ごせひじょう)と説かれます。


非常事態であると見たからこそ出家を決意されたのでしたm(_ _)m


①で重要な事は、当たり前は当たり前でなく、むしろ非常事態であった事。

いかに人間に問いを持たず、正しいと信じて疑わずに暮らしている事が危ういか。

そこから北の門で見た沙門を尋ねて行く話が②になります。

これは次回のお楽しみに(*´∀`*)

                                 南無阿弥陀佛

 
 
 

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