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南無阿弥陀佛の救い③〜法事の大切さ〜

死は存在しないという説が一時期流行しました。

我々の肉体は滅びても意識は量子場に残る、

意識は残り続けるから死は存在しないという考えです。

つまり量子に意識があるという事ですが、冷静に見ていくと

死は存在しないという事は、生も存在しませんし生まれてくるという事もあり得ません。

量子に意識があるのだからずっと変わらずに存在しているという話になってきます。


これを信じたとして、果たして本当に《私》は死ななくなるのでしょうか?

では、先立たれた方が皆量子として存在しているならばどのように確認するのでしょうφ(..)

私が量子となった時、私はそれを自覚しているのでしょうか?

むしろ意識が続いているならば人間の前の意識や情報がまったく残っていないのはなぜでしょう。


科学や哲学の落とし穴は、研究者は研究内容の外側に居ることです。

あくまで自分以外の研究対象を元に仮説を立て実証していく学問です。

それを待っている間に自身のいのちが終わってしまうかもしれません。


さて、お釈迦様の人生を振り返りながら佛法のはたらきについて迫っています。


①誕生〜29歳 ②29歳〜35歳 までを見てまいりました。


誰も疑問を持たなかった人間の常識に疑問を抱き、出家され

いのち終えてから問題が解決する宗教ではなく

今いのちある間に問題が解決しなければ意味が無い!!と出家されて学ばれたものを捨てられたお釈迦様。

その姿は骨や血管が浮かび上がり、髭も髪も伸び放題、今にもいのち終えてしまう

ギリギリの有り様でした。

河で沐浴しようと試みると力が無く溺れかけます。そこに通りがかった女性・スジャータ。

彼女から施しを受け、生きる力が湧いてきました。


『 は!!! こ、これか・・・ 』


お釈迦様は、はたと気が付きました。それから木の下で瞑想に入られます。

これまでの歩みをすべて振り返っていかれました。


一体、この苦悩の原因は何か。どのように解決出来るのか。


そして、12月8日の明星。お悟りを開かれました。


問題が解決したお釈迦様は、そのままいのち終えていこうと考えました。

そこに現れたのはバラモン教の神様である梵天(ブラフマン)です。


「どうか貴方が発見されたおみのりをお説きください。」と懇願されました。


49日程、思案を巡らせたお釈迦様はとうとう最初の説法をされたといわれます。

その年は35歳、そこから80歳までの45年間ずっと説法し続け点々と場所を変えていかれましたとさ。


これがお釈迦様の人生を3段階に分けた流れです。

一体どこに佛法が作用していたのでしょう(*´∀`*)


③は、お悟りを開かれて一人ひとりに説教をされていった45年間でした。

ここで重要なポイントは


お悟りは自分が救われたらそれでお終いではない!!


という事です。

お釈迦様が観た世界は、同じような苦悩や問題を抱えた方がたくさんいらっしゃったからこそ放って置けないと動き出し、生涯法を説き続ける世界でありました。


つまり、つまり! ここに佛法の性質が見えてきませんか?


佛法に気づいていないもの、佛法に背いているものに作用していくのが佛法が持つ性質であったからこそ、お釈迦様は人間の常識に染まり誰も疑問を持たなかった問題に気がつく事が出来たわけです。


お釈迦様が佛法を発見出来た理由は、佛法そのものがはたらきかけていたからです。


しかし、それを知らない人に説いても分かってもらえませんから

1人1人の能力に合わせて、その人が佛法の世界を見ていけるように説かれたものが

佛の教えの始まりとなっていきます。


その代表的な教えが

① 諸行無常  ② 諸法無我 ③ 一切皆苦   です。


これに反している者が見ている世界とは一体何でしょう・・・


無秩序の世界
無秩序の世界

                             南無阿弥陀佛


 
 
 

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