墓終いは必要?
- 本清寺 浄土真宗本願寺派
- 5月3日
- 読了時間: 3分
どうやら世間では未だに墓終いをされる方が増えているようです。
私がお預かりしているお寺は、お墓が無かったので
本当の意味で価値ある納骨(本来の佛教に戻すための納骨)を推める為に
納骨壇を設置したもののすでにお墓をお持ちの方には選ばれる事はほとんど無いでしょう。
というのも墓終いが進んでいる理由は
① お墓の場所が遠い
② お墓に行くまでの手段が無い
③ 次世代に面倒や迷惑をかけたくない
④ 菩提寺の人間性の問題
この4点にまとめられるでしょう。
そこには何の為にご先祖がお墓を購入されたかという思いが抜け落ちています。
それは、受け継いだ者が伝える意味、残す意味を知らないからとも言えます。
年始めに往生されたご門徒さまが常々尋ねられました。
『私は子を授かっていませんから私が亡くなった後は、このお仏壇を受け継ぐものがいません。せっかくご先祖から続いてきたお仏壇を私で終わらせたら怒るのではないしょうか?』
この墓終いや仏壇の引き継ぎに共通しているある問題にお気づきでしょうか?
《 当事者が向いている方向 》
墓終いや仏壇離れ、宗教離れが進む理由、その大きな理由は
お寺が教えを説かなくなったから・・・
至極簡単な理由です。
お寺は、お墓を管理する場所、誰かが亡くなった後にお世話になる場所、
そこに胡座をかき教えを説かなくても良くなったお寺は
今、一生懸命教えを説こうとされますが、もともとその教えは在家の者(人間社会で暮らすもの)にはレベルが高く実践不可能な教えですから増々難しくなり離れていってしまう、
もしくは都合の良い教えだけ上手く利用し人間生活を豊かにしようと佛教を道具化し
何を説いているか分からなくなるのは当然です。
何の為にお墓を建立されたのか?
何の為に仏壇を購入されたのか?
何の為に宗教が支えとなるのか?
何の為ではなく《誰の為》に変えてみましょう。
全部、私の為です。
会ったこと無いご先祖が、じいちゃんばあちゃんが、両親が
《私の為に》、私が佛教に向き合うために
向き合って欲しい場所として用意してくださった場所がお墓やお仏壇です。
つまり墓終いやお仏壇終い、宗教離れは自分が向き合う場所を
子や孫から取り上げ
自分のことは自分でなんとかしなさい!
これからは人間の時代よ!と言わんばかりに
人間の考えが一番正しい!と薦めている事に他なりません。
これが1番危険でありながらそれに気づかず
《迷惑》《面倒》という言葉を盾に終わらせてしまうならば
これからの日本はかなり危険な無秩序の時代になっていくでしょう。
《お終い》にするのは意味のないお墓やご先祖壇であり
意味のあるお墓(納骨)、お仏壇を《始め》ましょう!!
無くて良いのではなく無くてはならない場所を
新しい時代を
間違いなく支えとなるものを
次世代に
南無阿弥陀佛




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