学びはお楽しみ〜子どものいのちを聞く〜
8月26日〜27日の1泊2日で新潟県まで研鑽会に行って参りました。

オンラインでも参加は可能でしたが、わざわざ足を運ぶ理由はやはり
そこに集う法友と顔を合わせ対話し、1日を通して脳をアップデートさせる為ですm(_ _)m
さて、今回のテーマは
《 一般的に子どもと呼ばれる範囲の者が、救われるかどうか 》
これは浄土真宗の平等の救い(往生成佛)が、子どもに伝わるかどうかという大きな問題のようです。殊に生まれる前にいのちを終えた子や生まれて間もなくいのちを終えられた赤子が成佛されたかどうかは、親であるご遺族にとっては気になる話になります。
そこに浄土真宗の僧侶は、どのような言葉掛けが出来るであろうか?という事を考えなければなりません。
ご講師は、福岡県飯塚市正恩寺の井上見淳先生でした。
先生が執筆された【たすけたまえの浄土教】からピックアップされた所を重点的にお話くださいました。

1世紀に渡り、この小児が往生するかどうかという議論が続いたそうであります。
(現代でも問題は続いてそうですが・・・)
お話を聞かせていただいて、また前々からこの事に疑問を持っていたのである程度答えは出ておりましたが大方この4つの見方が出来るのではないでしょうか。
① 浄土真宗のおみのりをいただき、どのようないのちであろうとも平等に救いの南無
阿弥陀佛が届いている世界に身を置かれる方
② 少し聞いてはいるが《お救い》に確信が持てないが故に聞き受けている僧侶や知者に
答えを与えていただこうと考える方
③ これまで何も知らずに過ごされて初めて《どのようなものでも救う》おみのりを
聞かれた方
④ 人間社会の一般的な常識として受け継がれている考え方を信じる方
この子が本当に救われているだろうか?
結論は、この子がどうなったかではなく、亡くされた方の世界の転換でしか答えは出せないでしょう。
ましてや、バラバラの世界を生きている人t間同士では何も答えは出せません。
しかし、唯一浄土真宗だけがそこに間違いの無い答えを出せるならば
《 どのようないのちにも南無阿弥陀佛は届いている 》
《 どのようなものであろうと南無阿弥陀佛の光が照らさない場所はない 》
というおいわれを《御本人》が聞き開いていく中に
先立たれた方のいのちの見方が変換されていくという事はしっかりとお伝えできるでしょう。
ですから、僧侶はその段階を見極めてご遺族が亡き方のいのちを見失わず、また
《何かとい
う存在》を創造させないように言葉掛けをしていく事が大切です。
だからこそ常に学び、仏教以外にも精通している必要性があると感じました。
何よりも《相手》を出来る限り知らせていただく関係性をいのちある今に築き上げておくことが重要ですφ(..)
子どものいのちから長寿の方まで価値は同じです。

南無阿彌陀佛



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