学びの楽しさは、深まる事
- 本清寺 浄土真宗本願寺派
- 2月18日
- 読了時間: 3分
昨日は、某会所で開かれた研鑽会に参加しました。
朝から夕方という日程であったので家族には大きな迷惑をかけ
申し訳ないと思いつつも、コロナウイルス以降あまり開催されなくなった
東京での現地研鑽会はたくさんの刺激を受ける時間となりました。
開催にあたりご苦労くださった方々、家族に大きな感謝です。
さて、研鑽会のわくわくするポイントは
ただ学問するだけではなく、その先生(今回は井上見淳先生)の人生を通した
法話がお聴聞出来ることですm(_ _)m
今、私の口から称えられている南無阿弥陀佛
そこには南無阿弥陀佛の大きな誓願がありました。
その誓願は48つ、その中で18番目に誓われた願いがご本願(根本の願い)です。
設我得佛 十方衆生 至心信楽欲生我国 乃至十念 若不生者不取正覚 唯除五逆誹謗正法
(私が佛と成る時に、すべての生きとし生ける者が真実の心から疑いなく我が国に生まれ
たいと思い、念佛を大切にし、もしも生まれる事が出来ないならば私は佛と成らない。
唯、五逆と正法を誹謗するものは除く。)
このお心を読み手の側がどのようにいただくか?
十方衆生の1人である《私》が、真実の心を持ち、佛様の国に生まれたい!と願い、
南無阿弥陀佛を称えるならば《佛》さまは生まれさせてくれる。
このようにも読めてしまいます。
なぜならば人間という生き物がそのように出来上がっているからです。
社会に出て世の為人の為に働く、これが素晴らしい人間です。だからあなたもそうなりなさい!と切磋琢磨し、自らを磨き上げスキルアップし財や地位を得ていこうと頑張っていく。
こう育っていきますからご本願をいただく時にも《私》が何かをしなければならないと
思っていただいてしまうクセがついています。
しかし、このご本願は《佛さまの誓願》であるという事ともう1つ大切な事は
南無阿弥陀佛はすでに私の口から称えられているという事実です。
この2つからご本願をいただいてみると
《佛》さまが《私》をこのようにするぞ! という方向でしか読めなくなります。
つまり、私に課せられたものは何一つ無い・・・
えー、どういう事!? 理屈や構造は分かるけれど、どのような経緯で私がそのようになっているかは分からないではないですか・・・その通りです。
ここで昨日の井上和上の話が響きました。
「もしも、私が学生の頃に恩師の内藤知康先生にお遇いしていなければここに
私はいないと思います。」と思い出話をしてくださいました。
内藤和上は、質問に対して的確にズバッと仰ってくださる方であったそうです。
ある時、当時学生の井上先生が
「 阿弥陀さまとか浄土とか本当にあるんすかね?
だって見えないじゃないですか? 」
怒られると思いながらも恐る恐る尋ねてみると
「 良い質問だな。でもな、今はその質問は一旦《横に》置いといて
浄土真宗の教えや親鸞様の事をしっかり学んでおきなさい。 」
このように答えられたそうです。
《横においておく?》という疑問を抱きながら、数年経過したある日、
福岡の御自坊でご法話を聴聞していたその時、ふとこのやり取りを思い出しました。
ご法話を聴聞しながら、気がついたら口から「なんまんだぶ なんまんだぶ」と称えている我が姿
「あれ? 内藤先生に質問した時、阿弥陀様なんているんですかね?と
疑う自分しかいなかったけれど、今の自分の姿って・・・」
《横に置く》
これこそ自分が話を聞き、自分が信じ、自分が称えるというプロセスではなく
すべて《佛》さまの側が『 あなたをこのようにするぞ! 』というお育てそのものでありました。
内藤先生の《横に置く》という言葉は、『それはな、あなたの仕事ではなく如来様のお仕事であるよ。』という含みがありました。
これぞ!! 学び プラス ご法話 のわくわくです(学びの楽しさ)(^○^)
南無阿弥陀佛




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