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学び・語り・復習の繰り返し〜大切な方とのお別れが来る前に〜

昨日は、同じグールプに属するお寺さまで常例布教のご縁でした。


最近は、自身が預かるお寺からいかに本物を発信し伝わるかの試行錯誤ばかりに

頭が向いていたので、久しぶりの布教は物凄く充実しておりました。


さて、話の内容は・・・


致命的な程に増えている、格安葬儀やご遺族に寄り添うお葬式を売りにする会社が増え

これまでは死後から始まる佛教という誤解が根付いていましたが、それを追い抜き

《死後はご遺族が納得できれば故人も喜んでいるはず》という事態にまで行き着きました。


落ちるところまで堕ちたならば、後は登る? いやいや、そこからは現状維持です。


安く済ませられて、皆納得しているのだからこれでいいではないか!

周りも賛成しているのだからウチはこれで良い。


そこから見えてくる世界は、実は《亡き方のいのちを無駄にしてしまった歩み》です。


おおよそ人間が描いている生命終えた方の行方は、

 ① 霊魂になって空に上っていく

 ② 良い所に生まれていった

 ③ 現世の延長を来世にも続けている

 ④ 死んだらお終い

 ⑤ 現代科学の思考によると波動になるとか?


どの答えも問題になっているのは《相手の行方》です。

ならば、「きっと故人も喜んでいるはずだ。」という気持ちと同じではないでしょうか。


気になっているのは、《相手》


そこに注目してしまうからこそ死後ビジネスは流行る一方なのです。


生きている側の気持ちがこもっていれば故人は喜ぶ、だから

お別れに時間をかける、故人の好きだった曲やものを供える、故人の為に・・・

いずれ自分の時にもこのように・・・


たまたま佛式で勤められても、なぜ仏式なのか理由が分からない。

そこで初めて


「 佛教は生きているもの相手に説く宗教です。 」


と言われても、悲しみでそれどころではない。(だからこそ生きている間に聞くのですが)

お坊さんを派遣する会社も多いですが、これを知らないから単に派遣で終わってしまうのです。


《相手》のいのちを無駄にしない生き方は、《自分》のいのちを聞いていくことに繋がっていきます。


自分のいのちの行方、往き場所が分かるからこそ、相手がどのようになられたかが見えてきます。

それまでは、ただ《自分独りが描いた世界の中で故人を想像している》、たった独りの世界観です。


と、問題提起をして中身は《自分に向いていく》佛法の話へ。(^o^;


私の場合、日頃の実体験から問題提起するので本題に入るまでにタイムリミットが来る事が

頻繁に・・・


それ程に昨今佛法を聞いている人と聞いていない人の差は大きいと実感しております。

「佛法には明日ということあるまじき」

蓮如上人のこの言葉が胸に突き刺さる渦中真っ只中です。

                                   南無阿弥陀佛

本清寺の阿弥陀如来像
本清寺の阿弥陀如来像

 
 
 

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