宗教は必要?不必要?
- 本清寺 浄土真宗本願寺派
- 2025年12月22日
- 読了時間: 2分
時代の流れに遅れないよう時間がある時にはインターネットを探索したりします。
その中でもやはり目を惹くのは宗教に関する問いです。
1番多いのはタイトルに掲げた問い
「 なぜ、宗教は必要か? 」
このような問いに対して有識者が詳細に答えておられるのを拝見するのが楽しみなのです。
大体宗教の話になると《そもそも》論というものが出てきますが今回もその一例
問いが問いになっていない
必要か否か? という問いは、役に立つかどうかという問いです。
つまり、この質問者は宗教を自分にプラスになるかならないかで判断しています。
いわゆるご利益(りやく)があるかどうか、宗教を信じればご利益が無ければならない!
しかし、現実を見てみるとご利益が無い・・・ならば必要なの? 無いなら不必要では?
という流れから宗教(仮)を見ています。
ご利益を売りにする宗教施設は多数ありますが、どこでもご利益があるならば今頃悩みを抱えている人は1人もいないはずです。
難病を治療する、決して交通事故が起こらない、どのような縁でも断ち切る等
ご利益=人間の叶えて欲しい欲を満たすものを宗教と呼ぶならばこれは宗教とは呼べません。
このような事から問いを起こしているならば
それは宗教ではない上に、問いの出発が間違えている事になるでしょう。
この他にも科学的思考から論証されたり、倫理道徳の点から宗教を考えても同じ様に問いの出発がずれていますから答えは出てきません。
問いを起こしている主体は誰か?
私にとって何かプラスになるならば信じます! そう思っている私に眼が向く。
「私とは何か?」という問いは、再び私を外に取り出して科学しているので注意が必要になります。(ここから哲学でもないことがわかります)
私が私と自覚する前の私、自覚以前と自覚以後は何が変わってしまったのか。
人間の本質、損得・善悪と価値基準を定めている物差しは正しいものであるのか。
向きがすべて私に向いていく、「宗教は本当に必要ですか?」と尋ねられたならば自信を持って答えられます。
「人間であるから宗教が必要なのです。宗教を大切にすることは
私を大切にすることにほかなりません。」
そこにご利益は付いてきます。
本来、ご利益は恵まれるものですから求めるもではないのです。




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