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最先端のお墓?〜これからのお墓問題〜

先日、「お寺はAIとどのように向き合うか?」という研修会に参加しました。


研修会の様子
研修会の様子

人々の悩みや苦しみに対してAIはどのように答えを出すのか。

4,5年程前まではたくさんのデータの統計から最適解を導き出すという方法が

今ではAI自体が学び発達(自立?)していくまでにレベルがあがったそうです。


せっかくの研修会ですから事前学習として

中島聡さんの2034を
中島聡さんの2034を

こちらの本を熟読していると気になるタイトルを発見しました。

《死生観の変容》φ(..)ほうほう


AIがさらに発達していくと【故人再現AI】というものが出現するそうで・・・


まったく言葉も意味も分かりませんが何やら

ファインチューニング、プロンプトエンジニアリング、RAGと呼ばれる設定を駆使して

液晶画面越しに故人が《居る》という世界を創り出す装置のようです。

画面を付ければ画面の向こうから話しかけたりご遺族が装着するスマートウオッチのデータを通して体調の様子も気にかけてくれる故人再現装置。

これがお墓の代替となっていくと予想されていましたが、果たしていかがでしょうか。


というのも《AIとどう向き合うか?》というテーマを見た時


『 あぁ。お寺にはまったく関係ないだろうな。というより

  AIが佛教を言語化出来ても佛法の事実を実感する事は不可能だろう。 』

よくAIに仕事が奪われる職業というニュースが流れてきますが

教えを説くお寺や僧侶(説いていないお寺や僧侶は除く)には危機感はないと確信していました。


AIが学習する為には人間の思考と言語(記号、数字等)を基本としているはずですから

当然AIの回路はこの範疇を超えることは不可能です。

AI自体が学習し始めてもやっぱり人間の思考の最先端が限界でしょう。


佛教の道理や原理は理解出来ても、事実という一点において

AIが自我を持たない限りそこに至る事はありません。

そして、もしも自我を持ったならば・・・さらに焦る必要はありません。

自我をもって佛教を理解し事実を目の当たりにした時、

その自我は消え、言語も虚構であったことを知るだけの話になります。


さて、話を故人再現AIに戻すと

ご遺族の悲しみや嘆きを少しでも緩和させる為の手段として使用したとしても

画面上に居るとされる故人は、本物であろうか。

そして、さらに進歩してその故人AIが自我を持ち佛教を理解したとしたら

それはもはやご遺族が想像している故人ではなく

佛教の視点から何も分かっていないご遺族を心配する故人に変わるか

画面上から姿を消す事になるかもしれません。


そこまで発展したならば興味深いですが、紹介されたbotの言葉を拝見する限り

開発者が余程お悟りに近い方が創らない限りあり得ないでしょう。

(インターネット上には間違いだらけの情報が溢れ収集がつきません。)


さらにさらに極めたAIが登場したとするならば・・・

ほとんどの佛教宗派は淘汰されていきますが

浄土真宗だけは生き残るでしょう。

なぜなら本願他力であるからです。


人間の気持ちや言葉、思考をまったく当てにされない南無阿弥陀佛の心を頂戴していくいのち。そのまま頂戴するのですから極めたAI(51位の菩薩)でさえ手が出せない他力の極み。


AIに淡い期待を抱き、科学だけが進歩しそれを当てにした人間・・・

いやもはや人間ではないのかもしれません。

人と人の繋がりを失い、画面が唯一の相棒となった人の思考回路は

自らの脳を頼りとした生活。


興味深いマン アフターマン
興味深いマン アフターマン

こちらの本は未来を予想したヒトの姿が描かれていました。

この生活スタイルを維持したヒトの生活は、最先端の退行をし続け

ヒトの様な動物が現れ、生活スタイルは原始時代と変わりがない

争いと狩猟をしながら1日を生き残るために費やすいのちとなっているでしょう。


そのような意味で今回のAIとどのように向き合うか?というテーマは

人間としてこれからどうしていくか?を考えさせられる大切な時間となりました。


画面上に故人を再現をしても

故人が意志を持つことはありえません。

故人を再現した方の世界にいる理想的(自分だけに通じる)な故人がいるだけです。


佛教はどこまでいっても相手の話ではなく自分の話。

故人を見ているのではなく自分の気持ちに目が向いているうちは

AIの術から逃れる事は難しいでしょう。

これからのお墓問題は、今問題となっている墓終いよりも大きな問題となるはずです。

                       南無阿弥陀佛

 
 
 

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