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必ず実現させてみせる未来の法事

本日は、千葉県市原市へ1周忌のご縁でした。

私自身のスタイルとしてお寺に参ってくださる方も大切ですが

何よりご自宅にお仏壇を迎えられた方のご法事はご自宅まで伺って勤めさせていただきたいと思っております。


おうちにお仏壇があるご家庭がどれくらいあるでしょうか?


現代では様々な埋葬方法がありお別れの会をした後はすぐに納骨されて

そこからは各自でお参りするスタイルだけが残っていきます。


お仏壇を安置された家庭には、そこで仏事が勤まりますから

有縁の方々を招集して、そこで佛縁がどんどん拡がっていきます。


今日のご家庭も老若男女がお仏間いっぱいに集まっていました(*^^*)素晴らしい


1周忌ですから49日満中陰の時とは伝える箇所を変えてお伝えするわけですが

1年という時間は佛法から離れていた時間でもあります。

(↑ ここが未来のご法事を明るくしていく鍵になると思っています。)


肉体と別れ、ご遺体と別れ、お骨とお別れをした1年間。そして、名義変更等の書類の山、

悲しむ暇もなく、やっとこさ1年経った1周忌です。


忘れていて当然ですから丁寧にまずは


① 我がいのちに南無阿弥陀佛の佛様がすでにご一緒であるという事。

② 一緒であることを知りたければ、我が口から称えれば称え現れ出てくださる事。

③ 日々の忙しい日常で忘れていてた1年間もずっとご一緒であった事。


そこを再確認させていただいて、本題へ


 なぜ、佛様が私とご一緒なの?


佛さまって何をしてくれるの? ここが佛教の中心であり、生前に是非知っておいて欲しい内容。しかし、一番難しいのもココであったりします。


・ ありのままをありのままに受け入れる事が出来ない

・ 縁起を知らない

・ 無秩序の中を生きている

・ 変わっていく世界に生きている

・ 流動を固定させてしまう


どれが伝わりやすいか考えた時に、


《 縁起を知らないものに縁起を教えていく方であり、力である 》


これが全仏教に通じる言い方でしょうか(^o^;


浄土真宗で言うならば


《 智慧無きもの、縁起を知らないものに南無阿弥陀佛が届いた 》


つまり、智慧ある側が智慧無きものを放って置けず動いたという表現になります。

何が言いたいか? 縁起とは、活動している法則である、力を持っているということを

示すためにこのような表現をしています。


力が分からずとも、縁起を実践していくことが出来なくても


この私に届く南無阿弥陀佛のストーリーを聞く中で動かされていく、これは先程の

固定化していたものを流動させていく、いわば《私》という存在が実は固定化された存在ではなく、縁起の中で常に流動している存在であること向きが変わっていくという事です。


と、1回で語っても伝わらないのですが次回は1年後・・・


ですから未来のご法事スタイルを提案していきたいのです!


ご法事は、親族だけのものではありません!

それは、浄土真宗の話を聞けば納得出来ます。

(亡き方を偲び、自身が佛縁に遇うのですから。)


ご自宅の周りでご法事が開かれた時にお友達を誘ってみてくださいm(_ _)m


「ねぇねぇ。今日さ、うちご法事なのよ。お参りして佛法聞きましょうよ。」


「え? ◯◯さんの所で満中陰のご法事? 参ろうかしら。」


( 法事を勤められる方がいつでもウェルカムな環境を用意しておく。

  東京では難しそうであるからこそ、お寺でご法事をすれば良いではないですか! )


非常識に見えて実はこれ昔の方々は、喜んで誘い合っていたそうです。

今でもやられている地域があります。これを実現させたい!東京で


佛法を聞くことは、滅多にあることではないからこそ

いのちある間に、皆でいのちの往き先を坊さんに聞かしてもらおうじゃないか。

偲びながら、己のいのちの値打ち、生まれた意味、生き甲斐をともに悦びあえる。


それは、悲しみの中に亡き方のいのちを無駄にしない人生が始まります。


3回忌の次は、4年間という時間が空きます。これでは勿体ないです。

ですから、地域に浄土真宗が流行すればいつでも佛法が聞けるようになります。


1年後でさえ保証されたいのちではありません。

だからこそ浄土真宗のお寺では毎月法話会が開かれているのです。

東京から未来の法事を変えていきます。

                              南無阿弥陀佛


 


 
 
 

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