樹木葬を考えてみる
今更ながら未だに人気やまない樹木葬や散骨について考えてみました。
人気の理由は、《遺族に迷惑をかけない永代供養》が含まれた内容となっている、また
もともと自然が好きだから自然に帰る事を望まれた方が選ばれるようです。
一見、素晴らしい計画のように見えるこの葬送儀礼ですが果たして・・・
まず、ご遺族に迷惑をかけるというのはどのような意味ででしょう?
ご自身のお骨を納める場所がお寺である場合、お寺にかかる費用に対してでしょうか(^o^;
どのような理由であろうと自分自身でお骨を納める事は不可能ですから誰かしらには必ず運んでもらう必要がありますから、おそらく費用に関しての迷惑でしょう。
しかし、永代供養を含めた散骨であるならば・・・
その永代供養はお寺だけの力で可能な事になるのでしょうか?
前回の記事でも書いたように
他者に与えられる程の善根功徳を持っているならば
お寺というものを建て、そこに住まう必要はありません。
お寺に住んでいるという事は、人間の住職という事ですから
仏教からすれば迷いの住人が迷いから抜け出すためにお寺に生まれてきたと言えます。
迷っているものに永代供養が可能でしょうか。
(ここは、よくよく考えてみていただきたい所です。)
次に、自然が好きだったから私は自然に帰るという考え方。
この方にとって自然とは一体どのような存在なのでしょう。
森や河、海といった場所を好みそこで日暮しをしてきたから好きであったり、科学という知識から考えればビッグバンによって地球が誕生し、そこから生命誕生、進化ときて人間として誕生する事ができた、だから進化の一部として《いのちを終えて》いくんだという生物学的観点から出した答えでしょうか。
自然からたまたま生じてきた事は研究から明らかであるとして、その知識がありながら
人間の生活をずっと送ってきたその人生はどのようなものになるのでしょうか?
そして、自然から生まれてきたならば自然であり続ければ良いのですが
《私》という自覚はなぜ生じてしまったのでしょう?
これが人間の使用する言葉のあやふや、曖昧さでありますφ(..)
我々は簡単に自然自然と使いますが、何が自然かは何も分かってはいません。
おそらく自然に帰るという方は、自然という言葉を紐解けば最初にあげたように
海・川・樹木・地球を包む宇宙にまで拡がっていきますが
人間の知識で分かっている範囲での《自然》に過ぎません。
仮に、お骨をそれらの場所に散骨したとして
『 あぁ自然に帰ったんだなぁ。 』と思うのは本人ではなくご遺族の側です。
そして、ご遺族それぞれに自然の理解が違いますから
亡き方を探す時に全然違う《自然》を思い浮かべます。しかし、多くの方が概ね共通している樹木という言葉のイメージから、樹木は空気を綺麗にしたり、日陰を作ってくれたりしますからそこに亡き方を想い浮かべ、そういう事にしておきましょうという暗黙のルールの中で納得してしまっているのではないですか?
永代供養も次の《場所》を想定しているように
樹木や海、宇宙も自然という《場所》を人間の理想として考えています。
昔話の《浦島太郎》を思い出して下さい(^o^;
漁師の生活をしていた浦島太郎が助けた亀に連れられて
竜宮城
という《とにかく素晴らしい、欲が満たされる世界》で暫く過ごしていました。
しかし、ある時故郷が恋しくなり、乙姫さまに告げ手土産に開けてはならない玉手箱を
いただきました。
喜んで故郷に帰ると自分が知っている面影は何一つありません。
道行く人に尋ねると自分の家は無くなり、かなりの時が経過していたことを知り愕然とする浦島太郎。そして・・・開けてはならない玉手箱を。
浦島太郎にとって故郷と竜宮城どちらが《理想》だったのでしょう?
故郷を理想とすらならば竜宮城は夢幻、嘘偽りの世界です。
反対に竜宮城を理想とするならば故郷が嘘偽りの世界になります。
どちらが本当か分からなくなってしまった浦島太郎。
その原因は、どちらも人間の欲が描き出した理想を基準としたからです。
死後の世界を考える人、考えない人。
死んだら終わり、死んでも終わりではない。
樹木葬や散骨を選ばれる方は、終わりでは無い方をで選択されました。
けれどもその死後の世界を《人間思考の延長線上》に選択しまったのでは
それは絵に描いた餅でしょう。
どちらが本当か?
いや、どちらも本当ではありません。
なぜなら、人間の知識の範囲で描き出した狭い世界であるからです。
そこにずっと説かれ続け、ずっと受け継がれている佛教という真理を通した時
佛教の世界とは、その人間思考を抜け出したまったく違う次元の世界である事が分かってきます。m(_ _)m
どうぞ、どうぞ流行りや人気に惑わされることなく
いのちある今に自分の答えを見つけて
縁ある方々に伝え遺してください。
そこには
《迷惑をかける》《負担になる》という言葉は消え
『 この方のお蔭で自分のいのちの姿を知らさせていただきました。
有難うございます。 』と感謝と敬いの日々が続いていくしかありません。

南無阿彌陀佛



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