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祖父と遇う世界〜亡き方と話をする〜

祖父は、平成17年(2005年)4月に往生しました。

かれこれ21年。来年は23回忌。


孫である私が僧侶になる前に往生しましたから

お寺の話などする事もなく、

さらに言えば、当時は怖くて話しかける勇気もありません(TOT)


今、浄土真宗に生き始め祖父ともっと会話をしておけば良かったと後悔しています。


しかし、これが浄土真宗の凄い所でありまして


祖父が生まれた場所で同じく育った先生がいらっしゃたという話を

私の恩師のM杉先生がたまたましてくださいました。


そのM先生の恩師・稲城選恵和上は、広島県音戸で生まれ大阪に入寺されました。

かくいう私もこの先生の著書をたくさん拝見しておりまして

まさか祖父が広島県の音戸生まれとは知りませんでした。

そして祖父は大正5年生、稲城和上は大正6年生ですから

間違いなく同じ場所で育ったもの同士ですφ(..)


M先生『 私の先生がよくこんな事を仰ってくださいましてね。


 「 あのなぁ、わしの地元になぁ、物凄く佛法を悦ぶ人がいてなぁ。

  佛法を聞き始めた時は何も思はずに

  『 おぉ、南無阿弥陀佛は皆、救ってくれるのか。有難いご法義やなぁ。』って思って   たって。で、少し経ってからな

  『 そうかぁ。それ程にこの私というものは《救われ難い身》であるのかぁ。』って

  聞かさせてもらったって。もう少し聞いてみたらなぁ、

  『 そうかぁ。救われ難きこの私が、《いかにして救われていくか》って事が

    やっぱり解決されなければあかんねんなぁ。』って、そう思ったって。

  そうして話が進んでいった先に何があるかといったらのぉ、その2つがのぉ、

  『 最後には1つに落ち着く。それが浄土真宗のご法義やなぁ。』って

  そう思ったって言われてのぉ。 」


  《救われ難い我が身》、《その我が身がいかにして救われていくか》

  こちらから手を出す事が一切ない。すべて南無阿弥陀佛の側で先取りされている。

  これが浄土真宗の《そのまま》という意味です。 』


この話を聞かさしていただいた7年後の2025年に

本清寺の歴史を調べる上で戸籍を全部集めた時に判明した生まれた場所と年の一致に驚きと悦びが湧きました。

祖父とはまったく会話が出来なかったけれど

祖父が育てられた土徳には、今私が悦び育まれている浄土真宗のおみのりと

まったく同じものが届いていました。


祖父 「ようやくお前にも分かるようになってきたか。」


21年の時を経て、やっと祖父と会話が出来ました。

亡き方と話をする、それは本当に出遇っていく世界の始まりです。


                                 南無阿弥陀佛


 
 
 

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