貴方に来て欲しいお寺を目指して☆〜納骨それで問題ありません?〜
実現させようとしているお寺のカタチをかれこれ10年以上前から発信しております。
しかし、東京という場所の現実は600年前から何も変わらず続いている
《死後からのお寺》、《誰かが亡くなった後から始まるご縁》
これを続けるお寺で溢れすぎています。
ここに現在は、甘い誘い文句が罠を仕掛けています。
永代供養まで付いた〇〇
後継者がいない、場所が遠い、家族に迷惑をかけたくないと子や孫の事を気にかけさせるあまりに遂に《永代供養》というフレーズまで使い死後からのお寺を持続させようと企んでします。
これでは永遠に誰も供養出来ないでしょう・・・
この問題は、佛教の論理から話していけば誰でも理解できる話です。
というよりも!!
家族に迷惑をかけない、参るのが億劫、永代供養にすれば楽!!という発想に
拍車をかける宣伝は、誰の都合でしょう??
どれも《生きている側》の話ではないでしょうか。
そして、費用に関しても納骨やご法事に対しては安く設定されていますが
知り合いの檀家さんに聞いてみるとやはり戒名の値段や死後の管理費等に出費が激しいと聞きます。
この悩みはどちらにしてもご遺族の側であり《亡き方》に一切関係ありません。
そして、供養が関わってくるならば尚更その想いを抱きながら本当に供養が勤まるでしょうか。
まさに江戸時代の幕府の狙い通りにお寺も人も人間そのものに目が向かなくなりました。
だからこそずっと新しいお寺のカタチ、否、本来のお寺のカタチに戻さなくてはなりません。
また、上記のような問題もすぐ解決する方法があるにも関わらず知らないのでは人生がもったいないです。
さて、一言で申すならばそれは・・・
『 貴方がお寺に参って下さい。 』
これだけです。貴方に参って欲しいお寺が本清寺です。
おそらく世間の考えは、すでに先祖が建立したお寺があるからそこが菩提寺と植え付けられていませんか? それがまさに幕府の狙いなのです。
宗教とは家の話ではなく、いち人間、いち個人の話。
それが家族単位に捻じ曲げられ、現代の墓終いや宗教離れを起こしている原因です。
さらにさらに費用の話ですが、本来お寺にかかる死後からの費用はあるはずがありません。
なぜなら貴方が生前に聞いた真實を未来に維持させていくための財施によってお寺は継続する事ができるからです。つまり、死後にご遺族が費用を負担するのではなく、生前に施されたものによってご遺族が同じ佛縁に遇っていくシステムです。
貴方の財によってお寺はご法事を勤め、ご遺族に法を伝えていくのが僧侶の役割です。
ここだけでも現在は反対に思い込まれていませんか?(^o^;
このような行動経済学の本を読みました。
「 劇場の10ドル 」と呼ばれる研究があるそうです。
「 あなたは、劇場でチケットを買おうとして財布を開くと
10ドル無くした事に気づいた。それでもあなたは
財布から10ドル出して当日券を買いますか? 」 イエスの割合は、88%。
「 あなたは事前に10ドルの前売券を買っておいたけれど、
劇場に着いたら前売券が見当たらない。それでもあなたは
財布から10ドル出して当日券を買いますか? 」 半分は、ノー。
無くしたお金の価値はどちらも10ドルです。
しかし、お札を落とすか前売券を落とすかでその後の行動が変わっています。

お寺は家族が所属する場所ではなく個人に選ばれる時代となりました。
しかし、何で選ばれるかによってご遺族の行動は変わるという事でしょう。
《迷惑をかけたくないからと支払ったお金》
と
《貴方が佛法を聞くために費やされたお金》
どちらも同じお金という財は変わりませんが、どのタイミングかが重要になります。
ご遺族に真實が伝わり本来のお寺を遺す事が出来る、幕府の狙いから抜け出すことが出来るのはどちらでしょう。
気になる価格の話ですが、死後からかかる費用よりも3分の1ですべて納まります。
(プラン等は、ある程度死後から抜け出せた段階でインターネットに掲載する予定です。まだ大半は死後からのお寺ばかりなので控えめに頑張ります。応援ご支援お待ちしています。)
なのでお寺は生前から縁を結ぶ以外にお寺の役目もないのです。
貴方の維持によってお寺はどんどん進化していく事ができるのです。
本清寺は、貴方をお待ちしておりますm(_ _)m
そして、ご先祖のお墓を閉じても菩提寺や霊園から外れても
貴方が佛教を聞くことによってそのご先祖のいのちやご両親や親友のいのちも
皆ちゃんと繋がっていきます。
それが佛教なのです。
南無阿彌陀佛



コメント