魂(たましい)の始まり
- 本清寺 浄土真宗本願寺派
- 5月7日
- 読了時間: 4分
ある本を立ち読みしていると人間の感情はこのように動くと書いてありました。
不安→安心→行動
その不安によって
① やらない ② 決めない ③ 先延ばし
という行動が生まれるそうです。
これを読んだ時、私の頭をよぎったものは現在における佛教の立ち位置です。
お坊さんは、一般的な方々より多くの亡き方と接します。
そしてほとんどの方はご自身のいのちの終わりに対して準備をせず突然の終わりを迎え
ご遺族に確かな答えを伝えずに先立たれています。
この①〜③は、まさに己のいのちの問題に対する答えの先延ばしとも言えるでしょう。
誰しも自分の死と向き合う事は避けたい事実です。しかし、解決されてある話がすでにあるにも拘らず、『 佛教? まだ早いです。 』『まだ必要ありません。』と
やらない・決めない・先延ばしをした結果が、実際の現場には溢れかえっています。
さて、問題は本人ではなくご遺族の未来で目が向いていきます。
何も告げず、自分のいのちの事を伝えずに亡くなられた方の行方をご遺族は考えます。
その考え方に大きな問題が生じます。昔から誰も疑うこと無く信じられている【たましい】の話です。
最近では科学の発達により死後について様々な説が出てきています。
これらも実は【たましい】問題と同じ理屈で解決出来ます。
準備段階としてまず、皆様の知識を人類の始まりまで巻き戻しましょう。
これが大切になります。何も知らない状態を想像してください。
【たましい】がどのように誕生したか?
それは・・・集団で活動していたあるグループの中で突然1人のものが
動かなくなってしまった事から始まります。
『 おい!! どうした!!? お〜い! 』
周りにたくさんのものが集まります。
『 何が起こった? 動かなくなったぞ。 』
1人のものが触れてみました。
『あれ? 冷たいぞ。 何だか硬くなった気がする。 』
もう1人がこのように言いました。
『 見てみろ! お腹が動いていない!! 』
そうです。皆が考えた事は
《動いているもの と 動かなくなったもの の比較》
それは、1人だけではなく何人も同じ様な現象が起こるようになり始めます。
最初に人間の感情は、不安→安心と動くという話を出しましたが当時の原始民族は
この不安をどうにか安心に変えようと考えました。
『 分かった! 動かなくなった理由は、中で動いていたものが飛び出したからだ! 』

人間の身体には呼吸や心臓、胃が動いたり、夢を見たりと
自分の意志ではどうにもならない活動がたくさんあります。
これは、日本だけではなく中国やアメリカ、ヨーロッパ、インド等世界で考えられていました。
これが日本では【たましい】と呼ばれ、中国では【魂魄】、アメリカやヨーロッパでは
【スピリット】【ソウル】、インドでは【アートマン】【プレタ】等の名前が付けられました。
現代の医学ではあり得ない答えですが、当時の人々はこの名付けによって安心を得ました。
よく分からないけれど中にいたものが外に飛び出した・・・
このように設定した方が安心出来るのだからそうしようではないか!
(これは、自然の脅威を神様の仕業にした日本独自の思考にも通じます。)
そこで安心した人類は、次の恐怖を安心に変えなければならなくなります。
予期せぬ病や事故が起こった時です。
まだ年齢が若い場合や最愛の友人、家族が不可解な死を迎えた時に
どのように納得し受け入れていたか??
様々な名付けを与えられた【飛び出した何か】の仕業と考えました。
つまり、【何か】が死や病を呼び寄せた事にしたのです。
これらは悪霊や死霊、おばけなどで今でも残り続けています。
そこで再び考えます。この【悪い何か】と交信、コンタクトを取れる力を持つものを
出現させようと。ここまで来るとあえて名前は出しませんが日本各地で未だにある信仰や風習を調べれば一目瞭然となってきます。
そして、それはお寺や僧侶も同じ力を持っていると勘違いをされ始めました。
家内安全、交通安全、除災招福、厄払い等・・・
何を除こう、何を祓おうとしているか考えればそれはどれも
【人間が描き出した不安を安心に】変えようとする欲望である事が分かります。
不安→安心に変えようとする人間の性質は、確かにかなり昔から受け継がれているようです。
しかし、どれ程【安心】に変わったとしても
それが【無い】ものを【有る】かのように信じ
皆、それを信じているから安心だよね!!では
本当の安心と呼べる訳がありません(^o^;
(これを世間教と呼ぶそうです。)
なぜ、不安を安心に変えようとするのか?
人間そのものを解決しなければ安心は得られません。
佛教は、その答えを唯一与えられる究極の人間洞察の教えです。
南無阿弥陀佛



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