1月16日と言えば・・1年で1番大切な浄土真宗のご法事
- 本清寺 浄土真宗本願寺派
- 1月16日
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本日は、浄土真宗の佛法がどのようなものであるか明らかにされた
ご開山(かいさん)・親鸞(しんらん)聖人がご往生し763年を経た日。
浄土真宗ではいのち終える事を死ぬとは用いず、お浄土に往生し佛さまと成られた、
又は往生の素懐を遂げられたと表現します。
お釈迦様がお悟りを開かれて約2500年前、南無阿弥陀佛が佛様と現れたのが十劫前。
弥勒菩薩が佛様と成られるのが56億7000万年後。
佛教は、想像もつかない程莫大な数字を用いて説かれますが、これはシンプルに考えていただくと《これまでも・これからも変わらない真実》が佛法であることを示しています。
763年経過しても、親鸞聖人が依処とされた佛法(南無阿弥陀佛)はまったく変わることがありません。
なぜなら・・・《私》が居るからです!!
え? 私の話なの? そうです!!
私1人の話だから誰にでも通じるのです!!
どこかに佛様という実在がいらっしゃって、その存在を信じる事が仏教を信仰することであると勘違いされていますが反対なのです。
【 私がいるから南無阿弥陀佛がいらっしゃる 】
患者がいるから医者がいる、病気を患うから薬があるようにこの順番は逆に出来ません。
《私》が無いヒトはいらっしゃらないでしょう。(。・_・。)
さて、親鸞聖人がお師匠である法然聖人から教えられた南無阿弥陀佛とは一体??
『 私を佛にする為に何もかも南無阿弥陀佛に込めて届けてあるぞ。 』
その教えに衝撃が走りました_| ̄|○ナント
これまで行っていたお念仏は、私が唱えたお念仏という善の行為(努力)によって成仏を目指す仏教。それとはまったく正反対のお念仏が南無阿彌陀佛でありました。
当然、当時の既成仏教教団からは批難や弾圧が相次ぎに起こりました。
そこで親鸞聖人は法然聖人から教えられたお念佛が紛れもなく佛教であり、むしろ佛教の根幹を為す佛法の活動というものを事細かに明らかにされていきました。
私→佛 ではなく 南無阿弥陀佛→私
私を問題にされ、何としてでも私を佛にさねばならぬと立ち上がり願いを起こし
私を背負って佛を目指された佛様が南無阿弥陀佛でありました。
そこには【 このような私では佛には成れない・・・】という心配も
【 何をすれば佛に成れるだろうか・・・】 という心配も
すでに佛様の側で解決されていることが窺えます。
このように親鸞聖人は、浄土真宗という佛教は
私が何をすればよいか? という話ではなく、南無阿弥陀佛が何を為されたか? を【聞く】佛教である。とお示しくださいました。
9日から本日16日まで京都本山で勤まった報恩講の恩とはまさに
【為されたこと】に報いていく、近くは親鸞聖人、遠くはお釈迦様、南無阿弥陀佛の為されたことに報いる御講、そして報謝のご法事でありました。
南無阿弥陀佛



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