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〜浄土真宗だからこそ、これからを変えられる〜
あなたが佛法に遇う場所、それがお寺です
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南無阿弥陀佛の救い⑤〜科学と宗教〜
先日、友達とのお酒の場で久しぶりに《死生観》の話になりました。 私の周りのほとんどの友人は、最初お坊さんのイメージは死後のお世話係と思っていましたが毎度毎度佛教トークや死について話をふっかけるようになってからそのイメージがひっくり返ってくれました。(*´∀`*) 安心は出来るのですが友人たちの年齢は30歳〜40歳前半、世間でこのイメージを持たれている方の多くは60歳以上の方々がほとんどです。 つまり、友人の親御さん世代がこの勘違いを持っていることになります。 お寺は、老若男女関係なく人間が人間として抱えている根幹の問題を早めに知り その解決・答えが与えられる場所ですから何としても根付かせたい想いが溢れてきます。 さて、《死生観》の話に戻りますがその友人はこう言いました。 『 私の脳が、私だから脳が死んだら私も死にます。 』 脳が私である、それは脳が司令を出し私を動かし私を生かしているという事です。 皆さんは、どう思われますか? 実は、コロナウイルスが流行した頃に脳科学に興味があった私は色々な脳科学者の著書を読み漁りました。それらを読んだ時に思
本清寺 浄土真宗本願寺派
3月31日読了時間: 3分


南無阿弥陀佛の救い④〜法事が変わればお墓参りも変わる〜
お寺は誰かの死からお世話になる場所というイメージが強過ぎる為に 今では近親者のみでお別れ会が開かれるのみにまで進んでいます。 ある神社系の芸能人がテレビで仰っていたそうです。 『 神社は生きている人の為、お寺は死んだ人の為の場所。 』 これを聞いた時、あぁこのような宗教者兼影響力のある芸能人でも 何も分かっていないことをさぞかし知っているかのように発信し その情報を鵜呑みにしてしまう人を増加させているのかと落胆しました。 しかし、この誤りは何もこのK野さんだけではありません。 現代人のほとんどがそう思っているのではないでしょうか? このような誤りにストップをかけなければ 死後ビジネスや人間だけのお別れ会が無くなることはありません。 人間の欲望の延長線上に死を避けたり、死を概念付けていく行為は 欲望を満足させるだけで、次なる欲望を生んでいきます。 そこに佛教が紛れ込み、死を助ける役割と認識されているのがすでに この 欲望を満たす道具化 に他になりません。 さて、昨日でお釈迦様の人生を根本からひっくり返す法の作用(佛法)について 窺ってまいりました。
本清寺 浄土真宗本願寺派
3月27日読了時間: 3分


南無阿弥陀佛の救い③〜法事の大切さ〜
死は存在しないという説が一時期流行しました。 我々の肉体は滅びても意識は量子場に残る、 意識は残り続けるから死は存在しないという考えです。 つまり量子に意識があるという事ですが、冷静に見ていくと 死は存在しないという事は、生も存在しませんし生まれてくるという事もあり得ません。 量子に意識があるのだからずっと変わらずに存在しているという話になってきます。 これを信じたとして、果たして本当に《私》は死ななくなるのでしょうか? では、先立たれた方が皆量子として存在しているならばどのように確認するのでしょうφ(..) 私が量子となった時、私はそれを自覚しているのでしょうか? むしろ意識が続いているならば人間の前の意識や情報がまったく残っていないのはなぜでしょう。 科学や哲学の落とし穴は、研究者は研究内容の外側に居ることです。 あくまで自分以外の研究対象を元に仮説を立て実証していく学問です。 それを待っている間に自身のいのちが終わってしまうかもしれません。 さて、お釈迦様の人生を振り返りながら佛法のはたらきについて迫っています。 ①誕生〜29歳 ②29歳〜
本清寺 浄土真宗本願寺派
3月26日読了時間: 3分


南無阿弥陀仏の救い②〜法事改革と意味のある法事〜
死後からの法事を何としても生前からに変革させる為には、やはり 佛法は相手を変化させる活動態 これを伝える他に方法は無いと思うこの頃ですm(_ _)m 昨日から迫り始めたこの佛法とは? その法則をお釈迦様の人生を3段階に分けて読み解いていきます。 ①誕生〜29歳 ②29歳〜35歳 ③35歳〜 ①のポイントは 【 誰も気づかなった、疑問を抱かなかった事に目が向いた 】 なぜ、抱けたか? それは、すでに抱かせようと作用させた法則の活動の側の話にもなります。しかし、それは③以降の話ですからここではまだ判明していません。 本日の②は、お釈迦様が北門から見かけた沙門があまりにも容姿(生きる姿)が輝いて見えたので《老病死》の苦を解決出来るかもしれないと出家を決意され、当時の宗教に救いを求めた期間です。 世間の常識を初めて知ったお釈迦様は、その常識を知った時に《苦悩》が生じました。 しかし、誰もその苦悩を抱えているようには見えず常識として何事も無く過ごしている自身とのギャップ、城内と城外では《いのちの見方が違う》のだと分かりました。 そこから当時の代表的な指
本清寺 浄土真宗本願寺派
3月25日読了時間: 3分


南無阿弥陀仏の救いに迫るシリーズ〜法事の意義とは〜
なぜ、南無阿弥陀佛が救いとなるのか? 考察する現代において誰しも気になる事柄なのではないでしょうか? 最近読んでいる本の中に 【 人間という存在に問いを持つ人がいるだろうか 】 このような言葉がありました。 親を縁に赤ちゃんとして誕生し、育てられ、気がつけば大きな人になってしまっている者にとってわざわざ人間に問いを持つ必要性が生じるでしょうか。 問いは起きるけれど【自分自身】【人間】というものに問いを起こす人は稀であるはず。 前回宣言したように、まずは南無阿弥陀仏の救いに入る前に 《 佛法を発見された お釈迦様の話》 が要になってくるので3段階でお伝えしますφ(..) ① 誕生〜29歳 ② 29歳〜35歳 ③ 35歳〜 本日は①です。3段階に分けた理由は、①出家以前、②出家後、③成道後が大切になるからです。 さて、出家以前のお釈迦様の暮らしといえば一国の王子様でありました。 衣食住が満たされお城の中は健康で元気なものや美しい方で溢れていたと聞きます。 現代で言うならば富裕層にあたるでしょうか。それに加え権力や地位、名誉もありました。 羨ましい程に
本清寺 浄土真宗本願寺派
3月24日読了時間: 3分


なぜ南無阿弥陀仏が救いになるか?〜お彼岸は明日まで〜
今年に入ってお世話になった方が3名往生されたと思っていましたが 私の知らない所でもう1名往生されていました。1月の年始参りの時にお会いして 翌月末に往生ですからその時のお話が臨終法話となりました。 この度のお彼岸参りの際にもガンの再発により入院されているご門徒さまもいらっしゃり 息子さんにお話を託しました。 浄土真宗のおみのりは・・・ 今聞いて今救われるおみのり 今日聞いて今日間に合うおみのり です!!! その証拠が南無阿弥陀仏であるからです。 もう我が身に届いているからこそ、その口から『南無阿弥陀仏(なんまんぶだつ)』と 称えることが出来るのです。 問題は、何が《救い》なのかが分からない 何が《間に合う》のかが意味不明 このような疑問が生じてしまう事です。 この疑問は、聞いたから起こった疑問です。 聞かなければ疑問が生ぜず、聞いたから生じるならば 聞かない方が良かったと嘆かれた先人もいたと伝わっている程に 悩ませる問題のようです。 という事は、聞けば答えは分かる話であり 分からないからといって見捨てられる救い
本清寺 浄土真宗本願寺派
3月22日読了時間: 2分


春分の日のお彼岸
今日から3連休・・・ お彼岸期間をアピールするお寺に反して世の中はレジャーを推す現実^^; お寺に参るより旅行に行かれたりテーマパークへ足を運んだりと忙しない休日です。 非常の言は、常人の耳に入らず と教えてくださったように中々佛教を聞きに来る方は東京では少ないようです。 そのような春分の日そしてお彼岸お中日の本日は 午後から本堂で7回忌のご法事が勤まりましたm(_ _)m 非常に有難いことです。 毎年お中日は布教のご縁を頂戴していて私は不在が多いのですが この度は予定が空いていた事もあり、住職とともにお勤めさせていただきました。 たまたまのご縁で近くにあった本清寺を1周忌に選んでくださったからこそ 今日も結ばれたご法事です。 というのも 最近、荒川区の街はマンションが次から次に建てられ お寺の周囲はマンションだらけになりました。 マンションに住まう方々は引っ越されてきた家族もあれば 実家を離れて暮らす方々、海外の方など多く見られます。お仏壇離れやお寺離れも進む中で やはりお寺の周りを歩かれる方も 「私にはまだ必要ないわ。」 「地元に菩提寺あるか
本清寺 浄土真宗本願寺派
3月20日読了時間: 3分


お彼岸有難し〜お彼岸に墓参りだけで終わってませんか?〜
昨日から春のお彼岸週間が始まりましたm(_ _)m タイトルの通り《お彼岸有難し》の始まりでした。 せっかくですからお彼岸のお話も少し触れたいと思います。 春は春分の日、秋は秋分の日を中日に挟んだ前後3日間、つまり1週間が お彼岸と呼ばれる期間です。この期間がお彼岸である必要性は無く、先人方の工夫によって 太陽が真東から昇り、真西に沈むという性質を生かし やがて必ず往き生まれていく世界である西方浄土を想いながら 南無阿弥陀佛のお話に耳を傾ける週間 そうでもしないと佛さまの話を聞く事が出来ないほど現代は毎日忙しさに追われています。 ですから年2回あるこの1週間だけでも手を休め耳を使いましょうという工夫から お彼岸が設けられました。 お彼岸という名前の通りお彼岸とは佛さまの世界であるお浄土の事です。 西方と付いているからと言って方角の西に有るという話ではなく 方角を示さないと【私という人間には分かりようがないから】、私に想えるように 西方と指し示してくださったお心が表れています。 ここまで言えばお分かりのように 人間社会で当たり前のように生活をしてい
本清寺 浄土真宗本願寺派
3月18日読了時間: 4分


広島出身の有名人といえば
永光寺(えいこうじ)の永光聖法(ながみつまさのり)先生(*´人`*) 12日〜本日15日まで都内某所↓へご出向くださいました。 木曜、金曜の夜のお座で聴聞 先月、京都で同期会が開催されたばかりでありましたが予てよりご出向が決まっていたので楽しみにしていました。 京都での生活もそうですが、1回目の布教実践実習のグループも一緒であった思い出もあり 当時から落ち着いたお話ぶりは惹き込まれるものがありました。 優しく響き渡る低音ヴォイスは是非一度聞いてみてください。 誰もが身近に感じられる話題から南無阿弥陀佛のお慈悲へと自然と展開し繋がっていくお取次ぎは法の友として学ばせていただくものが多大にあります。 そして、初日終了後は懇親の場《鳥たけ》さんへ。 いつも写真を撮ってくださる横内さん有難うございます 同期会には来られなかった仲間の喜代田龍さんも一緒に話に花を咲かせました。 実はこの3人が1回目の現地実習メンバーであるという偶然にも驚きました。 そして、その時の引率の先生は私の生涯の恩師となる水杉悟史先生ですm(_ _)m 次の日の夜も再びお聴聞後に《も
本清寺 浄土真宗本願寺派
3月15日読了時間: 2分


子育ての中で、お慈悲を教えられる
今から3年前の3月11日に連れ合い(妻)の祖父がいのちを終えました。 昨日は、四回忌です。 え? 四回忌? そんなの無いでしょう・・・ これも終わりにしたい文化の1つです(^o^; 誰が49日の次は1周忌、3回忌、7回忌、13回忌・・・ 最初は1年毎に勤まっていたのに(それでも危ういですが) 段々と年が開いていくシステム。 浄土真宗は、今聞いて今間に合うおみのりですから一回勝負。 何度聞いても救いが届いている話を聞きますから日頃、法座が開かれています。 しかし、そうでは無い宗派のご法事の場合、その開いた期間に誰かがいのちを終えてしまったら先立たれた方や亡くなられた方のいのちはどう受け止めていくのでしょう? そもそもご法事に初七日だ二七日、満中陰、百箇日、1周忌と区切ること事態がおかしな話なのです。 なぜならば佛教も佛法もいのちある今に聞くものだから!! それをご存知の方であればご法事自体が 亡き方を通して自分自身が佛法に遇い、佛法を聞く時間になりますから 区切るどころか、聞きたいと思えば何度勤めても構わないのです。 三回忌の次は七回忌、4年という
本清寺 浄土真宗本願寺派
3月12日読了時間: 3分


なにはともあれ家族から
お寺を預かるものとして何より大切に心掛けていることは 《 自分自身が浄土真宗(佛法)に身を置くこと》 というのも私自身がお寺というものの意義を勘違いしてきた時間の方が長いですから この穴埋めの為に約10年程かかりました。(^o^; ようやく佛教というもの、中でも浄土真宗というおみのりがどのようなものであるか 理解することができました。 問題はここから・・・ 理解は出来るけれども現実の実生活に どう役に立つ のであろうか? と考えてしまう誤りに入っていってしまう日々が暫く続きました。 役に立つという考えが、むしろ最初の私の勘違いであったのに 分かったと思ったら再び同じ場所に戻ろうとしている事に気づいていない過ち。 役立つ か 役立たない か 損 か 得 か 善い か 悪い か この自分の物差しが自分で創り出した自分にだけ通じる価値観で世界を見ていたから 「その見方が間違っていますよ。」と教えてくださったのがお釈迦様でありました。 理屈は納得出来るわけです。 しかし、【 納得と実践 】は次元が異なることに気づくのは再び自分の
本清寺 浄土真宗本願寺派
3月9日読了時間: 4分


しみじみと佛法を考える毎日〜本当に生きたお寺とは〜
佛教のイメージを本来に元通りにする為に日々生きた佛教を発信しています。 しかし、それを上回るスピードで亡くなられるがいらっしゃり、そこで 佛教は、誰かが亡くなってから関係あるもの・・・ と既存のままの方々が増えていく悪循環。 これがいつの日か逆転してくれる事を心待ちにして・・・ いや、むしろ自分の子が《もしも》お坊さんを志した時に 意味がある状態を残しておかなければならないと気合いを入れ ご近所から少しずつ巻き込んでいっている現状です。 さて、佛法は生きてると言いましたが、その名の通り 《佛の法則》 当然、力(はたらき)を持っているのです。 例えば、氷を考えてみましょう(*^^*) 【氷は、冷たい】と分かるのは、なぜでしょう? もちろん触ったから『冷たい!』と分かります。 私が『冷たい!』のはどうしてでしょう? それは、氷が持っている性質が私に作用したから 『 冷たい !! 』 となったのです。つまり、 氷が持つ性質→私 氷が私を冷たく変化させた 《そのものが持つ性質と同じ様に触れたものを変化させる》 これが法則ですm(_ _)m では、佛法に
本清寺 浄土真宗本願寺派
3月6日読了時間: 3分


真心込めたお別れ会〜お別れとは?〜
某有名バンドのドラマーが急逝されました。 もうすぐお別れ会が開かれるというニュースを見ました。 そのような中で気になる言葉が目に止まりました。 お別れ会のチケットが取れなかった・・・ ここでしっかりとお別れしようと思っていたのに・・・ しっかりとお別れ するとは一体どのような事なのでしょう。 これからの人生で亡くなられた現実を引きずらないように しっかりとお別れをするのでしょうか? もう二度と会う事が出来ないから気持ちを伝えるのでしょうか? このような現象は有名人であれば有るほど頻繁に起こります。 大体、有名な方の訃報は事後報告。亡くなられて暫く経過してから取り上げられます。 するとSNSでは、一緒に撮った写真をアップして 「まさかこんなに早く別れが来るなんて。 もっとたくさんお話したかったです。 R.I.P 」 「一回しかお会いしたことありませんでしたが、すごく優しくしてくれました。 心より御冥福を。」 ・・・私は捻くれているのでいつもこう思ってしまいます。 それ、生前に言えば良かったのに。 今回もやっぱり似たような人で溢れかえったSNS。
本清寺 浄土真宗本願寺派
3月3日読了時間: 2分


ごっちゃおばけって何?佛教の世界観
まもなく長女が5歳を迎えますm(_ _)m 最近は幼稚園で教わったことを帰宅後にたくさん話してくれます。 その中で「あ〜やっぱりそうだよな。」という事もいっぱい教えてくれます。 ごっちゃおばけ ご存知ですか? お片付けをしなかったり、食べ物を残したりすると現れるお化けだそうです。 どうやら幼稚園で絵本を読み聞かせてもらったみたいで いつもは中々お片付けをするまでに時間がかかる娘が、あっという間に部屋をピカピカに。 「あのね、お部屋汚いとごっちゃおばけ来るから。ごっちゃおばけ怖いんだよ。」 すると私が留守の間に連れ合いと娘・息子の3人はスマートフォンを使って ごっちゃおばけを検索したようで 「ごっちゃおばけ怖いね。来ないようにお片付けしようね。」 見事に連鎖していました。 その空間を見た私は 「あぁ、これだな。」と一気に頭は佛教モードへ。(^o^; 家族の中で《ごっちゃおばけ》を知っているのは3人、私は知まったく知らない人間です。 知っている子ども2人には怖い存在、知らない私は怖さどころかどのような姿かさえも分からない。つまり、子ども達には《
本清寺 浄土真宗本願寺派
3月2日読了時間: 3分


必ず実現させてみせる未来の法事
本日は、千葉県市原市へ1周忌のご縁でした。 私自身のスタイルとしてお寺に参ってくださる方も大切ですが 何よりご自宅にお仏壇を迎えられた方のご法事はご自宅まで伺って勤めさせていただきたいと思っております。 おうちにお仏壇があるご家庭がどれくらいあるでしょうか? 現代では様々な埋葬方法がありお別れの会をした後はすぐに納骨されて そこからは各自でお参りするスタイルだけが残っていきます。 お仏壇を安置された家庭には、そこで仏事が勤まりますから 有縁の方々を招集して、そこで佛縁がどんどん拡がっていきます。 今日のご家庭も老若男女がお仏間いっぱいに集まっていました(*^^*)素晴らしい 1周忌ですから49日満中陰の時とは伝える箇所を変えてお伝えするわけですが 1年という時間は佛法から離れていた時間でもあります。 (↑ ここが未来のご法事を明るくしていく鍵になると思っています。) 肉体と別れ、ご遺体と別れ、お骨とお別れをした1年間。そして、名義変更等の書類の山、 悲しむ暇もなく、やっとこさ1年経った1周忌です。 忘れていて当然ですから丁寧にまずは...
本清寺 浄土真宗本願寺派
2月28日読了時間: 4分


京都へ行って参りました
2017年4月から9月まで京都にある伝道院という場所でともに生活を送っていた法の友が集まり初同期会が開催されました! 伝道院 実に9年ぶり、やろうやろうと何度か連絡を取り合っていましたが毎度お流れになり続け 今回は昨年8月から念入りに計画をたて決行されました。 全員参加は叶いませんでしたが、遠近各地よりご参加くださいました。 伝道院7期生とご講師1名 こちらは当時の集合写真です。↓ 2017年9月 皆、それぞれに研鑽され磨きがかかっておりました! これぞ浄土真宗の生きたおみのり。 この日も3名の方に20分間のご法話をお願いし、最後にそれぞれ味わいや感話を伝え 有意義な時間をともに。 その後は、懇親会へ。 京都を満喫 このような時間でも近況報告だけでおわるのではなく 浄土真宗のおみのりをさらに深める佛教トークに自然となるのがお楽しみです。 来年は10周年。毎年開催できるように、長く続けられるように来月から動き始めます。 大切なことは面倒くさいですが得るものは大きいです。 南無阿弥陀
本清寺 浄土真宗本願寺派
2月26日読了時間: 1分


学び・語り・復習の繰り返し〜大切な方とのお別れが来る前に〜
昨日は、同じグールプに属するお寺さまで常例布教のご縁でした。 最近は、自身が預かるお寺からいかに本物を発信し伝わるかの試行錯誤ばかりに 頭が向いていたので、久しぶりの布教は物凄く充実しておりました。 さて、話の内容は・・・ 致命的な程に増えている、格安葬儀やご遺族に寄り添うお葬式を売りにする会社が増え これまでは 死後から始まる佛教 という誤解が根付いていましたが、それを追い抜き 《死後はご遺族が納得できれば故人も喜んでいるはず》という事態にまで行き着きました。 落ちるところまで堕ちたならば、後は登る? いやいや、そこからは現状維持です。 安く済ませられて、皆納得しているのだからこれでいいではないか! 周りも賛成しているのだからウチはこれで良い。 そこから見えてくる世界は、実は《亡き方のいのちを無駄にしてしまった歩み》です。 おおよそ人間が描いている生命終えた方の行方は、 ① 霊魂になって空に上っていく ② 良い所に生まれていった ③ 現世の延長を来世にも続けている ④ 死んだらお終い ⑤ 現代科学の思考によると波動になるとか?...
本清寺 浄土真宗本願寺派
2月22日読了時間: 3分


気になれば納得するまで・・・
先日投稿した内容の中で南無阿弥陀佛の根本の願いである第18願について触れました。 たとひ われ 佛を得たらんに 十方の衆生 至心信楽(ししんしんぎょう)して わが国に生ぜんと欲(おも)ひて 乃至十念(ないしじゅうねん)せん もし生ぜずは 正覚を取らじ ただ 五逆と誹謗正法とをば除く このご本願を和訳したらどのような文章になるか考え、よく使われるフレーズを検索してみました。 日頃、読んでいる本には 「もし私が佛になる時 あらゆる人々が 真心から信じ喜び、往生安堵の思いより ただ念佛して そして私の国に生まれることが出来ぬようなら 私は決してさとりを開きません ただし五逆と誹謗正法のものは除かれます」 私も尊敬している和上のお一人は 「 お願いだから ほんまに 疑いなく 我が国に生まれるんだと思っておくれ。 たとえわずか10ぺんでも私の名を称えながら人生を生きてくれよ。 もしお前をお浄土に生まれさせる事が出来ないようならば私はまさしく目覚めた者と 呼ばれる資格はないんだ。 」 このように和訳され、色々な先生もこの表現を採用されて
本清寺 浄土真宗本願寺派
2月19日読了時間: 3分


学びの楽しさは、深まる事
昨日は、某会所で開かれた研鑽会に参加しました。 朝から夕方という日程であったので家族には大きな迷惑をかけ 申し訳ないと思いつつも、コロナウイルス以降あまり開催されなくなった 東京での現地研鑽会はたくさんの刺激を受ける時間となりました。 開催にあたりご苦労くださった方々、家族に大きな感謝です。 さて、研鑽会のわくわくするポイントは ただ学問するだけではなく、その先生(今回は井上見淳先生)の人生を通した 法話がお聴聞出来ることですm(_ _)m 今、私の口から称えられている南無阿弥陀佛 そこには南無阿弥陀佛の大きな誓願がありました。 その誓願は48つ、その中で18番目に誓われた願いがご本願(根本の願い)です。 設我得佛 十方衆生 至心信楽欲生我国 乃至十念 若不生者不取正覚 唯除五逆誹謗正法 (私が佛と成る時に、すべての生きとし生ける者が真実の心から疑いなく我が国に生まれ たいと思い、念佛を大切にし、もしも生まれる事が出来ないならば私は佛と成らない。 唯、五逆と正法を誹謗するものは除く。) このお心を読み手の側がどのようにいただくか? ...
本清寺 浄土真宗本願寺派
2月18日読了時間: 3分


《亡き方の偲び方を思考する》
あえてタイトルにしませんでしたが、本日はお釈迦様が涅槃に入られた日です。 涅槃会(ねはんえ) バレンタインデーの翌日である 2月15日は、全国で法要や布教大会が勤まっていますm(_ _)m さて、ここで気になるのが《涅槃に入る》というフレーズ 『 え? つまり、お釈迦様が亡くなられた日でしょ? 』 と表現すれば良いのに・・・と思われた方! そこが大事なポイントになります。 インターネットや本ではお釈迦様は佛教を説かれたと書かれている事が多いです。 しかし、正しくは【 佛法を発見され、一人ひとりに伝わるように生涯説き続けた 】。 そうです。佛法を発見され、佛法に身を置かれた方だから佛さま(ブッダ)と尊称します。 そのブッダが説いた教えであるから佛教というのです。 そのお釈迦様がこのように説かれました。2つ紹介いたします。 「如来、世に出ずるも及び世に出でざるもの法性は常住にして・・・」 「法を見るものは私を見る。私を見るものは法を見る。」 この2つを組み合わせれば 『 私がいようといまいと佛法は常にはたらいていますよ。 その佛法がもつ性質
本清寺 浄土真宗本願寺派
2月15日読了時間: 2分
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