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〜浄土真宗だからこそ、これからを変えられる〜
あなたが佛法に遇う場所、それがお寺です
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お仏壇の必要性に迫る!
本日は、遷佛のご縁でした(*´∀`*) 現代では墓終いや宗教離れと人間が【人間】として自立を始めてしまった感が強めです。 お寺からも離れ、おみのりを聞かなくなった人間は果たして人間としていられるのでしょうか? よく佛教界では常識である言葉として 人間は、他者との関係の中で初めて人間と成れる。 そして、佛教を聞く事によって初めて真の人間と成る《成人式》を迎える。 このような言葉があります。 世間では18歳で成人式が行われていますが、 100歳であっても真の成人式を迎えられた方は少ないでしょう。 その理由の1つがお仏壇です。 皆さん、お仏壇をお仏壇として扱われていますか? 様々なタイプのお仏壇があります。 調べると簡単にお仏壇情報が出てまいります。が・・・・ お仏壇にご安置されているのはどなたでしょう? そうです。佛さまです。 佛さまがご安置されてあるのがお仏壇ですから お仏壇とは、貴方が佛さまと向き合う場所です。 しかし、佛さまではなくご先祖の御位牌に対して手を合わせてはいませんか? 『 私がこうして元気で上手くいっているのも爺ちゃん婆ちゃんを始め
本清寺 浄土真宗本願寺派
7 日前読了時間: 3分


〜納骨壇のおすすめ〜
ある本を立ち読みしましたφ(..) そこには ①共感 ②興味 ③納得 ④継続 このようにありました。しかし、この本清寺には弱点がただ1つあります。 それは、ひいひい爺ちゃんとひい爺ちゃんがせっかく購入してくださった共同墓地もいつの間にか父親兄弟のよくわからぬご門徒様争奪戦により兄の側のお寺に墓地を所有されてしまった事です。 本清寺の周囲にご門徒さまのご自宅は多いものの先祖代々の墓地は当然そちらにあるわけです。最初はいつでもお参りしていただきご自身のいのちの話と向き合える空間を考えておりましたが、すでに墓地を持たれている方の腰は重いようです。(^o^; というよりも南無阿弥陀佛とご開山・親鸞聖人からお預かりしているご門徒ですから 《うちのお寺の門徒》という括りがすでに問題なのです。 墓終いや仏壇終いが加速している今がまさにチャンス到来なのですが それを上回る勢いで【無宗教】という無いものを有る化してしまった人間教が大流行です。 この本のアドバイスのままに当てはめるならば 納骨壇を設置した第一目的である教えが無くなった家の宗教から離脱し...
本清寺 浄土真宗本願寺派
6月9日読了時間: 4分


〜常識を崩す始まり〜 無宗教編
浄土真宗のおみのりを初めて聞かれる方が多いご縁をいただく機会がかなり増えました。 そのほとんどは、誰かを亡くされた通夜葬儀、1日葬、炉前葬です。 厳しいご縁でも長寿のご縁でも必ずお伝えしなければならない要があります。 しかし、それがまさに 常識を崩す始まり 『 何もこんな時に言わなくても・・・ 』と思われていそうですが この事を皆がいのちいただいている今に聞いて置けばそこで本当の事を伝えなくても済むとは思ってはいるのですがそれは初縁の方々が悪い訳ではなく全部お寺側。(^o^; 皆さん!! 浄土真宗の佛さまは南無阿弥陀佛です。が!! この佛さまは、お寺の内陣に鎮座している訳でも、ご自宅のお仏壇にいらっしゃるわけでも 絵像でも仏像でもございません。 『 今、私たち1人ひとりのいのちの上にしっかりとご一緒くださっている 佛さまです。 』 その証拠に『南無阿弥陀佛』と称えると我が口に称えられているではありませんか。 あ〜確かに!! とこの時は納得してくださいますが、よくよく冷静に考え始めると 【 え・・・でも、これって貴方が仰ったから唱えただけ
本清寺 浄土真宗本願寺派
6月4日読了時間: 5分


《思い出となる 台風 1日葬》
台風6号がやって来たと同時に斎場へと出発。 昨年から台風とはご縁がありますφ(..) 土砂降りの中、駐車場に到着したもののたった数mの距離が動けない程に雨が・・・ そして、車の下はすでに大きな水溜りが・・・ 諦めて裸足に雪駄を履き、傘と衣体鞄を抱え移動。 案の定、あっという間にビショビショに。 しかし、そこは用意周到な私ですから到着予定時刻のさらに1時間前行動をして 現地で乾かす作業を(^o^;心配性 早めの早目に到着したので会場に足を運びご遺体と対面しました。 本日のご縁は、70歳の時から16年間病を患い続けられたお方でありました。 遺影と比べるとやはりだいぶ衰えていらっしゃいました。 喪主さまと挨拶を交わし そこで初めてのご注文をいただきました。 『 棺の上に法被をかけてもよろしいでしょうか? 』 法被と言えば、お祭り。お祭りと言えば神様です。 仏式のお勤めですから当然、御本尊は佛さまです。 さて、皆様ならばどうされますか? 通常、浄土真宗の葬儀では棺の上に七条袈裟をおかけして勤めます。 これは、しっかりとお御法をいただきお御法に生きた方であ
本清寺 浄土真宗本願寺派
6月3日読了時間: 3分


J-POPから仏教を考察~MISIA~
J-POPから仏教を考察していくシリーズ再び!φ(..) 日頃、ご法事へ向かう車中で流している音楽は 発声練習 兼 法話に繋がるようなアーティストを選曲しています。 今回はMISIAさんの《アイノカタチ》です。 先日、先輩布教使さんが朝のご法話で歌われていて『やられた!!』と悔しくなりました笑 このような歌詞です。 あのね いつの間にか 気づいたんだ 愛に もし カタチがあって それがすでに わたしの胸に はまってたなら きっと ずっと 今日よりもっと あなたのことを知るたびに そのカタチはもう あなた じゃなきゃ きっと隙間を作ってしまうね あのね 大好きだよ あなたが心の中で 広がってくたび 愛が溢れ 涙 溢れるんだ・・・ あのね 大好きだよ 何万回も 伝えよう 温かく増えた想いは全部 アイノカタチです 思いっきり浄土真宗の歌詞ですよね!!(*´∀`*) え? どこが?? と思われましたか。 【 すでにわたしの胸にはまってたなら 】。 これは、もろに南無阿弥陀佛の事です。 いつの間にか気づいたと歌われている様に 段々と聞いていく内に...
本清寺 浄土真宗本願寺派
5月27日読了時間: 2分


雨の降誕会(ごうたんえ)〜亡くなるという事?誕生という事?〜
本日21日は、浄土真宗の宗祖親鸞聖人降誕853年を迎えられた事をお祝いする法要が全国で勤まっています。 親鸞聖人が降誕されなければこの私という人間は、未だに人間社会の常識を信じ疑わず 自身のいのちの往き先が決まらず右往左往していた事でしょう(^o^; それ程に大切なご縁を頂戴している今に感謝せずにはいられません。 この度は、降誕会を通して一体親鸞聖人が明らかにされた浄土真宗がどのような真実(おみのり)であるのかをお伝え出来ればと思います。 まず、この誕という字を見てみましょう。 誕の意味をご存知ですか? これはあまり知られていないようですが、①に示されている意味が大切になってきます。 我々は当たり前のように赤ちゃんが誕生するとケーキを用意し 『誕生日おめでとう!!』とお祝いします。生誕◯◯年と使用したりもします。 しかし、①や②を考えた時に果たして単純にお祝いだけで喜んでよろしいものかどうか考えさせられます。 降誕という言葉は、まさに誕(いつわ)りの世界に降りて来られ真実を明らかにされた事を意味しています。 では、何が誕りなのでしょう?...
本清寺 浄土真宗本願寺派
5月21日読了時間: 4分


何がおめでたい?〜仏教保育〜
本日は築地本願寺で宗祖親鸞聖人降誕853年をお祝いする行事 《 しんらんさまとこどものつどい 》 が勤まりました!! 東京に多くある浄土真宗系のお寺の幼稚園の中で4園が集まりお祝いしました。 確実に年々と子どもの参加人数が減少している事が目に見えました・・・ さて、そのような中でこの本清寺にも幼稚園が付属しているので参加いたしました! (私はだいぶ保育からは離れていますが、行事には顔を出しています。) そして今年は、甥っ子が代表でおやくそくを担当との事で(*´∀`*) 真成幼稚園は左側に おやくそくとは・・・ ① わたくしたちは、みほとけさまをおがみます。 ② わたくしたちは、いつもありがとうといいます。 ③ わたくしたちは、おはなしをよくききます。 ④ わたくしたちは、みんななかよくいたします。 と4つのおやくそくを唱和する訳ですが、このお約束が中々伝わりにくいのです(^o^; ①のみほとけさまとは、当然、南無阿弥陀佛の事です。 《みほとけさまを拝みます》ですから信仰の対象ではなく礼拝の対象です。 南無阿弥陀佛がいるかいないかという存在を信仰
本清寺 浄土真宗本願寺派
5月19日読了時間: 4分


《中陰を調べてみる》
なぜ、葬式仏教と呼ばれ始めたのか? なぜ、お坊さんといえば死後からなのか? 確かに死後からご縁が結ばれる事の方が多い現代ですが、日頃年始、お彼岸、お盆とお宅参りをしている私からするとどう考えても ①お宅参りをされていない ②お寺に参る機会が無い ③参っても会話をされない この3つが葬式仏教にならざる負えない理由かと思います。 その原因は何であろうか・・・ これまたお寺の側に問題があるとしか言えません。 昨日、とあるSNS媒体で葬式仏教について発信すると 『 葬儀が終わった後にグジグジ文句を言う人が多い。これも葬式仏教に加担しているの だから文句を言うな。 』と厳しい意見が飛んできました(^o^; そうかもしれませんが、やはりこの意見も筋違いで お寺の行っている事が葬式仏教を生み出しているはずである!!と仮定して 四十九日(満中陰)、納骨法事が勤まる仕組みを調べてみました。 追善をしなければならない理由 お釈迦様が説かれた【因縁果の真理】。 原因は様々な縁によって次から次に結果を生じ、その結果は因となり再び縁によって 変化し続けるという
本清寺 浄土真宗本願寺派
5月15日読了時間: 6分


魂(たましい)の始まり
ある本を立ち読みしていると人間の感情はこのように動くと書いてありました。 不安→安心→行動 その不安によって ① やらない ② 決めない ③ 先延ばし という行動が生まれるそうです。 これを読んだ時、私の頭をよぎったものは現在における佛教の立ち位置です。 お坊さんは、一般的な方々より多くの亡き方と接します。 そしてほとんどの方はご自身のいのちの終わりに対して準備をせず突然の終わりを迎え ご遺族に確かな答えを伝えずに先立たれています。 この①〜③は、まさに己のいのちの問題に対する答えの先延ばしとも言えるでしょう。 誰しも自分の死と向き合う事は避けたい事実です。しかし、解決されてある話がすでにあるにも拘らず、『 佛教? まだ早いです。 』『まだ必要ありません。』と やらない・決めない・先延ばしをした結果が、実際の現場には溢れかえっています。 さて、問題は本人ではなくご遺族の未来で目が向いていきます。 何も告げず、自分のいのちの事を伝えずに亡くなられた方の行方をご遺族は考えます。 その考え方に大きな問題が生じます。昔から誰も疑うこと無く信じられ
本清寺 浄土真宗本願寺派
5月7日読了時間: 4分


法名戒名問題
インターネットを覗いてみると 宗教は必要かどうか? 法名・戒名はいらない! 葬式不要!! と過激で自信過剰な答えが散乱しています(^o^; これらの答えに何かしらヒントを与えられないだろうか日夜試行錯誤していますが まず葬式、特に仏式での葬儀はどうであろうか? ここに注目してみるならば答えは簡単です。 お釈迦様はどうであっただろうか? 涅槃像(いらすとや) お釈迦様が説かれた内容が、お釈迦様入涅槃後にお弟子によって編纂されお経となり 佛教となりました。つまり・・・ お釈迦様の葬儀は、仏式成立以前、しかも当時のインドの風習に従ったものでしょう。 ですから葬式仏教と揶揄されるのは正論であり後の者が佛教を死後と結びつけた事によって 現代にいたるまで続いている勘違いです。 しかし、大切な事も受け継がれていっています。 お釈迦様の教えをしっかりと聞き受けたものは、お釈迦様が人間という姿を取らなくなった後もその教えを依り処として自らのいのちと向き合っていかれています。 それは、亡き方をどのように受け止めていくか、故人を通して自分がいかに向き
本清寺 浄土真宗本願寺派
5月6日読了時間: 4分


墓終いは必要?
どうやら世間では未だに墓終いをされる方が増えているようです。 私がお預かりしているお寺は、お墓が無かったので 本当の意味で価値ある納骨(本来の佛教に戻すための納骨)を推める為に 納骨壇を設置したもののすでにお墓をお持ちの方には選ばれる事はほとんど無いでしょう。 というのも墓終いが進んでいる理由は ① お墓の場所が遠い ② お墓に行くまでの手段が無い ③ 次世代に面倒や迷惑をかけたくない ④ 菩提寺の人間性の問題 この4点にまとめられるでしょう。 そこには何の為にご先祖がお墓を購入されたかという思いが抜け落ちています。 それは、受け継いだ者が伝える意味、残す意味を知らないからとも言えます。 年始めに往生されたご門徒さまが常々尋ねられました。 『私は子を授かっていませんから私が亡くなった後は、このお仏壇を受け継ぐものがいません。せっかくご先祖から続いてきたお仏壇を私で終わらせたら怒るのではないしょうか?』 この墓終いや仏壇の引き継ぎに共通しているある問題にお気づきでしょうか? 《 当事者が向いている方向 》 墓終いや仏壇離れ、宗教離れが進む理由、その
本清寺 浄土真宗本願寺派
5月3日読了時間: 3分


佛さまの世界は【お浄土】〜死後の世界に非ず〜
昔から根付いてきた考えというものは改める事が難しいようです。 その1つに亡き方の行方、亡き方はどこへ行ったのか?という答えに 場所(死後の世界)を想定される方が多いです。 あの世、天国、そっちの世界、パラレルワールド、良い所など・・・ その人の人生がそのまま反映される世界を希望されるからこそ 素晴らしい、楽しい人生を歩まれた思い出が強い人は、その延長された世界を描きます。 しかし、反対の人生、例えば凶悪犯や貧しく不幸せの人生を歩まれた方の世界は 聞いた試しがありません。 むしろ亡くなったご遺族に対して 地獄や悪い世界の話を切り出すことは不謹慎にあたるでしょう。(^o^; では、実際にそのような考えがいつ頃から始まったか調べてみました。 遠くは人類の祖先から最近では平安時代の貴族が死後の世界を望みました。 以前、《たましい》について話しましたが、まさにその延長のような話です。 肉体から抜け出した何かは死後にも何かしらの形で存続していくと考えた当時の人々は 生前にどのような行いをしたかによって生まれていく先も変わると考えました。 これは至極当然の考え
本清寺 浄土真宗本願寺派
4月29日読了時間: 5分


初大阪でのお育て〜一日葬法事
新生活、新年度の4月も終わりに近づきました。昨日のニュースでは ゴールデン・ウィークが始まったそうな(^o^;12連休!? 今月はこれまでのご縁を上回る程の方々とご法事を賜りました。 しかし、そのほとんどは亡き方を偲びながらのものでもありました。 お釈迦様が発見された佛法は、今を一瞬一瞬を大切にいただく真理でありながら 本当に大きな出来事に遭遇しなければ《気づく事ができない》という所に 人間の大問題があるのだなと改めて思わざるおえません。 一昨日(24日)に大阪の高槻市にある光明山 願行寺に参りました。 永代経法要でのお取次ぎでありました。一般的には永代供養法要と間違われますが 永代経 です。 供養と何が違うか? まったく方向が違います。 なぜならば供養であるならば ご遺族→亡き方になりますが 経ですから 亡き方(浄土真宗の佛さま)→我々(人間)です。 先立たれたご先祖方がたくさんのご懇志をお寺に寄付くださりお寺が維持されていきます。 そのお寺に子孫や縁ある方々が参って佛様の話を聞いて欲しいという願いが込められた法要が永代経法要です。..
本清寺 浄土真宗本願寺派
4月26日読了時間: 3分


《仏教を聞くきっかけ》
振り返ってみるとお寺に生を授かりながらも仏教を真剣に聞く時間があっただろうか。 このような事をご法事の度毎に思う毎日です。 先週は墓前、炉前、一日葬、通夜葬儀と様々なご法事の御縁を賜りました。 お寺に生まれ、僧侶である私がそうだったのであるから むしろ日頃社会生活をして、お寺に参る機会がほとんど無い方々が仏教を聞く時間は まったくないはずです。 しかし、今佛さまと向き合ってみるとこれまでの時間はとんでもない《いのち》の見方をしていた事に気づかされます。 よくお寺に生まれたものは入院患者、参ってくださる方は通院患者と例えられますが 僧侶は余程の重症であったからこそ、そこに生まれさせなければならない佛様のご配慮があったのでしょう。(^o^; さて、先週のご法事のご縁はたくさんの学びがありました。 その中で浄土真宗の肝心要である なぜ、南無阿弥陀佛が救いとなるのか? こちらを初めて聞かれる方にスッと納得していただく方法はないだろうか考えてみました。 我々が生まれてきた人間という世界は言葉が必要不可欠です。 そして、世の中に存在しているほとんどのものには
本清寺 浄土真宗本願寺派
4月21日読了時間: 3分


日々是阿彌陀佛〜魂ってあるの?〜
今週は自分史上毎日仏教アウトプットの連続でした(^o^; 墓前のご法事2日間に始まり炉前葬儀からの布教、布教、そして一日葬。 日頃インプットばかりしているのでアウトプットのご縁は大変ありがたいです。 さて、そのご法事の際に色々な方からいただいたご質問を布教テーマにしました。 気になった質問を挙げてみると たましい(魂、霊魂)ってあるんですか? 宗教って言っても皆同じでしょ? 神道も仏教も同じでしょ? 充分過ぎる程のご質問でしたので収骨までの空き時間に待合室でお話しましたが まったく時間が足りませんでしたm(_ _)m それ程に大きな質問であり、誰しも抱いているけれど どのように調べればよいか、そして誰を信じれば良いか迷うのかもしれません。 しかし、答えは意外と簡単に分かります。 ① 事の発端は何か ② 誰がそれを信じているか 【 たましい 】 と呼ばれるものがいつから名付けられたのか? たましひ(い)は日本の言葉ですが実は表現は違えど世界中で同じ意味をもった言葉が生まれています。 たとえば魂、霊魂、魂魄、スピリット、ソウル、アートマン、プレタ・・
本清寺 浄土真宗本願寺派
4月17日読了時間: 4分


《ご法事のお育て》
2日間のご法事のお手伝いでした。千葉県まで車を走らせる事1時間半、道中であちらこちらで葬儀やお別れ会が勤められている看板を発見しました。数えられただけでも10件はありました。何宗で勤まっているのだろう・・・・お別れ会だけかな・・・など頭をよぎります。 家族葬を売りにするホールが増えたこと増えたこと(^o^; お別れの空間や雰囲気、時間を演出することは確かに大切です。しかし、それだけでは 人間(ご遺族)の気持ちを満足させるだけで 自らのいのち・存在に目が向かずに終わっていきます 亡き方のいのちを無駄にしない唯一の答え を土台としないお別れの会は、生きている者の考えを優先した虚しいものになります。それを知らずに拡大してお客を集めていたり死後ビジネスに手を出している会社を見極める力を持ちましょう。 さて、昨日は23回忌、本日は1周忌のご法事でありました。 23回忌(往生後22年)と聞くと、どのようなご法事を想像されますか? 今回お手伝いで伺いましたから23回忌で墓前という情報のみを頼りにお勤めの差定を組んでいました。ところが、施主とお会いするとまだ
本清寺 浄土真宗本願寺派
4月12日読了時間: 3分


南無阿弥陀仏の話って何?〜宗教の土台〜
超宗派を薦めながら、ネット上では領収書を渡すかどうかや戒名法名の値段でもめている僧侶方を拝見していると矛盾しているなと感じるこの頃ですm(_ _)m こちらはそれどころの段階までお寺が盛り上がっていないので、ひたすら学問漬けの日々・・・羨ましくも思いどうでも良いとも無視しつつ。 さてさて浄土真宗の肝心要はご存知【南無阿弥陀佛】ではありますが、 いまいちピンとこないという方々が多いです。 それは、なぜであろうか? と考えてみるに 先日勤めれられた《はなまつり》でお祝いされたお釈迦様は 南無阿弥陀佛をどのように教えたれたのかと尋ねてみると 【 教え方に2種類 】 ある事が分かります。 ① プレゼンテーション型 例えば、電気屋さんの店員さんになってみましょう。 今ここに今日発売のドライヤーがあるとします。このドライヤーをお客さんに購入してもらう為には、 ⅰ ドライヤーが壊れて求めに来た人や使用しているドライヤーに不満がある人を見定め力ⅱ 販売するドライヤーがこれまでに無い程の優れものであること この2つが必要になります。 《相手が抱える問題》、
本清寺 浄土真宗本願寺派
4月10日読了時間: 3分


灌仏会〜はなまつり〜
鶯(うぐいす)を春告鳥と言います。 春を告げる鳥とはどのような事でしょう? まさに・・・ 春がやってきた事を教える鳥 です。 また満開の姿を楽しませてくれた桜も春の訪れを教えてくれました。 さてさて、その春はどこに在るのでしょうφ(..) 我々は春を見る事は出来ないけれども、春がやってきたことを知ることが出来るます。 それは紛れもない鶯や桜の鳴き声や花を聞き、見る事によって知ることが出来ました。 では、その鶯や桜は、春を知っているかといえばそれらもまた知ってはいません。 春が春の陽気でもって鶯を鳴かせ、桜を咲かせたからこそ《私》は春のはたらきを知る事が出来るように、南無阿弥陀佛の佛様も《佛力》が私にはたらきづめであることを 私の口から称えられる『南無阿弥陀佛』をもって教えてくださっています。 南無阿弥陀佛を聞かせ、称えさそうという力がはたらいているからこそ私を動かしてくださいます。 だからこそ、私を含めたすべてのものに届いている事を誰かが『南無阿弥陀佛』と称えれば あの人にも届いているなぁと悦ぶ事が出来、お寺にたくさん参って佛様の話を聴聞されて
本清寺 浄土真宗本願寺派
4月8日読了時間: 3分


新生活にご法事をm(_ _)m
妙なタイトルをあえてチョイスしてみました。 しかし、このタイトルに違和感を覚えるあなた・・・ かなり人間思考に浸ってしまっています!! 人間思考というよりも人間の常識と呼んだ方が分かりやすでしょうか。 つまり・・・ 《ご法事は、亡くなった人の為》 誰かを無くしたから法事を勤める=法事だからお寺、お寺だから坊さん。 この公式が頭を支配していませんか?(^o^; 違和感の正体は、これです。 この常識が蔓延っているとせっかく元気なうちに法事に参加しても 『あぁ、法事か。親戚と会うの面倒くさいな。自分にはまだ早いし関係ない。』 という答えをすでに植え付けられていますから話は入ってきません。 というよりもご法事という字を見れば明らかなように 法の事、事の付く熟語を思い浮かべてみると 家事、仕事、行事、人事・・・と 家に関する事、仕えるべきものに関する事、行いに関する事、人に関する事ですから 佛法に関する事というのは一目瞭然です。その主語は誰でしょうか? 《私》以外に他なりません なぜ、主語が変わってしまったのでしょう? 私が勤める《亡くなった方の為》の事な
本清寺 浄土真宗本願寺派
4月5日読了時間: 2分


南無阿彌陀佛の救い⑥〜宗教と哲学〜
よく間違われる宗教と哲学、特に佛教は哲学と混同されやすいです。 SNSでちょっとした事を発信すると、すぐ様 『 佛教って哲学みたいですね。 』や『 佛教は最高峰の哲学です。 』と 返信が来ます(^o^; では、佛教と哲学、その他の学問と何が違うのか明らかにしてみたいと思います。 実は答えは簡単なのですが最近哲学をYoutubeや書籍で学んだので これらを活かしてはっきりとさせてみたいと思います。 哲学とは? という質問には哲学者の数だけ答えがあるそうです。 ある人は生の意味を変える知的努力であるとか ある人はいかに豊かに生きるかの為のツールであるとか ある人は病、麻薬であるとか・・・ 哲学を学んでみて分かったのですがよく耳にするプラトンやカントという方々は 原始哲学時代でニーチェで一旦終止符が打たれているそうです(それさえ知らなかった私) それ以降は反哲学時代と言われているそうで最近ではマルクス・ガブリエル氏という方が 21世紀の哲学者として有名らしく《世界は存在しない》という本が爆発的な人気だったみたいです。 この方の《世界は存在しない》という
本清寺 浄土真宗本願寺派
4月2日読了時間: 4分
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