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〜浄土真宗だからこそ、これからを変えられる〜
あなたが佛法に遇う場所、それがお寺です
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何が佛教を難しくするのか?
佛法は広めるものではなく弘まるものである! 確かにその通り!! とは頷けるものの 今、頷ける理由は自分が僧侶であり日々学びを深めているから。 その私が相手にしている日頃の相手は、ご門徒さまを除くと ほとんど初縁で結ばれる方が多いです。 その人々の歴史を分析してみると ① いのちを恵まれ、人間社会に適合していくように勉強し就職し家庭を持っていたり 仕事に生きがいを持たれて人生を謳歌している時代 ② 謳歌中に知人や親族の死に目に遭われ初めて法事に参加される。 とてつもなく大きな大きなきっかけによって縁が初めて結ばれる。 それまでは、聞きかじるか教わる程度でまだ必要ないと見向きもしていなかった状態。 ③ 年に2回、1回の法事に参加するようになりお経を聞いたり、ご法話を聞いたりする。 ④ 聞いた内容に疑問を持ち始める。 佛様って? いのちって? お念佛って? ⑤ 聞けば聞くほど難しく、まったく分からなくなる。 ⑥ 3回忌が終わり7回忌という4年間の間にリセットされてしまう。 ⑥まで行けば良いほうではないかなと思います(・・;)...
本清寺 浄土真宗本願寺派
2月12日読了時間: 3分


祖父と遇う世界〜亡き方と話をする〜
祖父は、平成17年(2005年)4月に往生しました。 かれこれ21年。来年は23回忌。 孫である私が僧侶になる前に往生しましたから お寺の話などする事もなく、 さらに言えば、当時は怖くて話しかける勇気もありません(TOT) 今、浄土真宗に生き始め祖父ともっと会話をしておけば良かったと後悔しています。 しかし、これが浄土真宗の凄い所でありまして 祖父が生まれた場所で同じく育った先生がいらっしゃたという話を 私の恩師のM杉先生がたまたましてくださいました。 そのM先生の恩師・稲城選恵和上は、広島県音戸で生まれ大阪に入寺されました。 かくいう私もこの先生の著書をたくさん拝見しておりまして まさか祖父が広島県の音戸生まれとは知りませんでした。 そして祖父は大正5年生、稲城和上は大正6年生ですから 間違いなく同じ場所で育ったもの同士ですφ(..) M先生『 私の先生がよくこんな事を仰ってくださいましてね。 「 あのなぁ、わしの地元になぁ、物凄く佛法を悦ぶ人がいてなぁ。 佛法を 聞き始めた 時は何も思はずに 『 おぉ、南無阿弥陀佛は皆、救ってくれる
本清寺 浄土真宗本願寺派
2月9日読了時間: 2分


雪の中のご法事も風情がありました
天候に不安を抱きながら三回忌と建碑・納骨法要のご縁でした。 三回忌は室内、そして墓苑に移動すると・・・ 雪がチラチラとm(_ _)m 口からは白い息。 記憶に残る納骨となりました。 さて、そのような中でハッと思わされる景色が目に飛び込みました。 参列者の中に中学生や幼稚園年中児の姿。 この度はお手伝いの法事でしたから背景は全く存じ上げていませんがおそらくお孫さんでしょう。 つまり、そこにはお婆ちゃん(お連れ合い)、子ども夫婦、孫という関係性が見えてきます。 そして3回忌ですから何かしらのご都合で納骨をせずに今日を迎えられたのでしょう。 ご法事の最初と最後には必ず 『 佛様に向かいまして、手を合わせて「南無阿弥陀佛(なんまんだぶつ)」とお念佛申しましょう。 』 とご案内申し上げます。 その時、大体の方は最初しません。(TOT) 最後は皆、声に出してお念佛しますが、本日は声が聞こえない・・・ あれっ?? と思いながら振り返り10分程ご法話をさせていただくと 考えて聞かれている感じがする。 なるほど!! と思いました。 最近、初縁の方々が増える中で..
本清寺 浄土真宗本願寺派
2月7日読了時間: 3分


お坊さん(私)が見ている世界〜亡き方の偲び方〜
タイトルが重くなってしまいました(・・;) しかし、本清寺が目指しているお寺の在り方は 死後から始まるお寺関係の廃絶!! これ以外にありません。言うならば・・・ 《 新しいカタチに見える古き良き本来のお寺 》 つまり、一般常識のお寺のイメージとは正反対。 江戸時代に国が定めた寺檀制度によって関東一体は、死後から始まるお寺関係、死人のお世話役に成り下がってしまった状態のままです。 そうではなくて!! 本来佛教は、いのちいただいている今に聞かせていただくもの。 かれこれ10年以上前からこの計画は動いていますが、いまだに受け入れがたい話のようです。 『 亡くなった方が佛様に成る? 』 『 佛様の世界なんて本当に存在するの? 』 このような疑問が当たり前のように出てくる時点で 今回のタイトルを見かけた方は 『 ?? 』 となるのが目に見えています(TOT) 佛教が説く世界は、地球上に住んでいる生き物が1つの地球という世界に住んでいると考える世界ではありません。 10人が円を作り、その真中にりんごが1つ置いてある。 同じりんごを共有しあっている世界が1つあ
本清寺 浄土真宗本願寺派
2月4日読了時間: 3分


鬼と福が分かれば楽しむだけ♪〜節分に思う〜
今日は節分。全国の寺社や神社では豆まきが行われるようです。 『 鬼は外、福は内。 』 著名人や芸能人を集め、賑やかに福を呼び込んでいますが 果たして・・・それで良いのでしょうか。 福? 鬼? 鬼の起源はある程度分かっていますが、福の定義は人それぞれではないですか? 鬼。それは時代、場所、人間によって変化してきた言葉です。 古代で考えるならば、人間の知恵や経験が及ばない現象。 例えば、雷や火事、地震、津波などの自然現象に対して《恐れ》。今まで動いていたものが突然動かなくなり、冷たくなりコミュニケーションが不可能になった時の《不安》。 この恐怖や不安をいかに解消しようか考えた人間は、それを人間には思いつかない何者か、考えが及ばない存在のせいにしよう!としました。 これが鬼の始まり。鬼はもともと陰(オヌ)。 これが今度は中国の風習と結びつき始めたのが平安時代。 中国では、鬼門と考えている方角があります。 (中国では生命終えた肉体と精神は魂魄に分裂すると考え魂を鬼としたようです) 丑寅の方角 (・・;) 丑の角と寅のパンツ・・・鬼のイメージ...
本清寺 浄土真宗本願寺派
2月3日読了時間: 3分


2月こそ善は急げ何事もです!
1月はお世話になった方々が相次いでご往生されました。 高祖父が福井県から当地へ説教所を設けてから この周りにはたくさんのご門徒さまとご縁が結ばれました。 しかし、天災や人災により何度も立て直しを繰り返す中 当時の国の土地区画整備により足立区に墓地付きのお寺を建立する事になりました。 これがそもそもの原因の始まり・・・ 祖母は四人の子を授かり、兄と弟がお寺を継職。 つまり、説教所ともう1つのお寺があることになります。 墓地付きですから当時のご門徒さまはそちらに墓地を建立されました。 日頃は説教所の周りに住まわれ、誰かが亡くなると墓地へ納まる形。 だんだんと問題が浮上してきます。 兄弟で2カ寺、常識的に考えれば足立区の周りで新しいご門徒さまを拡大していくのが筋。 ならば、その墓地は説教所とお寺のご門徒さま共同の墓地とならなければなりません。 しかし、気づけばお寺専用の墓地に名前が変えられてるではありませんか(´・ω・`) 今年に入りご往生された方は、私が僧侶となってから お正月、春秋のお彼岸、お盆すべてお宅に伺ってお参りさせていただいている方です。.
本清寺 浄土真宗本願寺派
2月1日読了時間: 3分


大切な方の葬儀ご法事を終えて
長年、本清寺を支えてくださった方でありました。 僧侶として私が始まった2009年。最初にお育ていただいた方でもありました。 初対面から「先生!先生!」と仰るので 「私は先生ではありませんからその呼び方は止めてください。」 そんなやり取りは昨年までずっと続きました。 当山の報恩講には必ずお参りくださり、初の試みであった法話会にお誘いした時も 快くお聴聞くださいました。 お酒を飲めば顔を真赤にされてニコニコとたくさんの話を聞かせてくださいました。 呼吸が苦しくなり始め酸素を吸入しながらの生活を始められてから ご自宅参りに窺うとゼェゼェしながらも丁寧に対応くださって 「先生。やっぱり年は取りたくないもんだね。きついです。 でも仕方ないね。好きでタバコ吸ってきたんだから。 でもきついね。」 そんな話をしながらお勤めの 鏧をカーンと叩くと なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ・・ 『 仏説無量寿経巻上 』 なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ・・ 最後の 鏧をカーン なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ 少しでも間があると、すかさずお念
本清寺 浄土真宗本願寺派
1月28日読了時間: 3分


1月16日と言えば・・1年で1番大切な浄土真宗のご法事
左 十字名号 中 六字名号 右 親鸞聖人 本日は、浄土真宗の佛法がどのようなものであるか明らかにされた ご開山(かいさん)・親鸞(しんらん)聖人がご往生し763年を経た日。 浄土真宗ではいのち終える事を 死ぬ とは用いず、お浄土に往生し佛さまと成られた、 又は往生の素懐を遂げられたと表現します。 お釈迦様がお悟りを開かれて約2500年前、南無阿弥陀佛が佛様と現れたのが十劫前。 弥勒菩薩が佛様と成られるのが56億7000万年後。 佛教は、想像もつかない程莫大な数字を用いて説かれますが、これはシンプルに考えていただくと《これまでも・これからも変わらない真実》が佛法であることを示しています。 763年経過しても、親鸞聖人が依処とされた佛法(南無阿弥陀佛)はまったく変わることがありません。 なぜなら・・・ 《私》が居るからです!! え? 私の話なの? そうです!! 私1人の話だから誰にでも通じるのです!! どこかに佛様という実在がいらっしゃって、その存在を信じる事が仏教を信仰することであると勘違いされていますが反対なのです。 【 私がいるから南無阿弥陀
本清寺 浄土真宗本願寺派
1月16日読了時間: 3分


《 ◯◯という存在を親という 》 〜親ガチャや自分ファーストという誤り〜
前回back numberの新曲で佛法を味わった流れで今回も名曲【手紙】から。 最近多い見出しに『◯◯とは?』『◯◯って一体?』というようなものがあります。 すでにある言葉に対して答えが分からないから◯◯とは?という問いになります。 そうすると今ならばチャッピーが『◯◯とは〇〇です。』と答えてくれます。 その答えを真に受けた方は、◯◯が正しいと思いますから ◯◯でないものは間違っていると思います。 では、テーマである親とは何でしょう? AIの答えは・・・ 一般的に子を生んだ者、または子を養育する者を指します。その定義は視点によって以下に分類されます。 ①生物学的親 ②法的親 ③社会的・心理的親 これを信じた結果、親ガチャという言葉や昔ならば「生んでくれと頼んでいない」といったような言葉が出てきたのでしょう。 特に現代はすでに定義があってその定義に当てはまらないものは誤りであると 思っている方が多いように感じます。 しかし、本来逆ではないでしょうか?(。・_・。) 親とはこのようなものである。という決められた答えが先にあったのではなく ◯◯のような
本清寺 浄土真宗本願寺派
1月15日読了時間: 2分


back number最新曲と佛教の交流〜JPOP音楽から仏教を身近に感じましょう。〜
早朝4時に目が覚める事が日課になってしまったここ数年(;・∀・) 洗面、ごみ捨て、お勤めを終えて手にするはスマートフォン。 まずは世の中のNEWS確認とSNSで検索。 つくづく思うのは最近仏教風な発信がやたらと多い・・・ 「私、仏教に目覚めました!」 「仏教の考え方は非常に役に立ちます。あの有名なスティー・・」 「今朝、佛さまの言葉が聞こえました。」 挙げると切りが無いほどに。 関心しながらプロフィールまで行ってみると予想通り。 似たような方に道具化された仏教風な?仏教でも何でもない自己啓発。 どうやらこのような方々は自己をいかに素晴らしく、幸せにしていくかの為に 仏教を学んでいるようです(-_-;) さて、今回気になったのは 「私も仏教を学んでいましたが、私には合わないみたいでやめました。」 ・・・合わないからやめました これは一体どういうことなのだろうか色々考察してみました。 大乗仏教の菩薩と呼ばれる方は、52の段階を上っていきます。 十信→十住→十行→十廻向→十地→等覚→妙覚(佛) この十地からの菩薩は初地の菩薩と呼ばれ、不退転の菩薩となり
本清寺 浄土真宗本願寺派
1月14日読了時間: 3分


JPOP音楽から現代を考察〜SEKAI NO OWARIのあの歌詞から自分と向き合う佛教の話〜
SNSのアルゴリズムの怖さ。 発信する内容が佛教や宗教関係が多いので流れてくる内容も大体似たような内容で・・・ 中でも《魂》に関する話が多く見られます。 皆さんは魂が有って欲しいですか?(-_-;) 魂が有って欲しい方の傾向を見てみると 若くして大切な方を失われた、逆縁の方、予期せぬ事故や天災によって準備がなく迎えられた別れを経験した方に共通しているようです。 『魂ってあるんでしょうか?』 このような問いに対して100件を超える返信がされていました。 有ると無いでは有るという答えが多かったです。 では、その答えを信じたとして問題は解決するでしょうか。 これに関連する内容がもう1つ流れてきました。 『6年経ってようやく納骨することが出来ました。 優しい人でしたからきっと満足してくれていると思っています。』 これに対しても肯定的な答えがたくさん見受けられました。 今朝の新聞の表紙にChat GPTを活用しているのは25歳以下が多数を占めているとありました。相談相手がいない、対人間より答えが明確、そして優しいからとありました。 《自分の気持ち肯定して
本清寺 浄土真宗本願寺派
1月12日読了時間: 4分


Mr.Childrenの名曲から佛教の確信に迫る!!
先日は 、Mrs.GREEN APPLEの名曲から佛教を味わったのでミセスからミスターへバトンタッチ。 ミスチルの曲は浄土真宗の要素を含んだ歌詞が多く見られます(。・_・。) 櫻井さんの感性は驚くべきものがあります。 例えば、進化論の中では 変わらないことがあるとすれば 皆、変わってくってことじゃないかな これはまさに《私》という存在は一瞬一瞬変わり続けているという真実 決して変わる事がないから真実と言える さて、今回取り上げる曲は【 Documentary film 】 誰の目にも触れない ドキュメンタリーフィルムを 今日も独り 回し続ける そこにある光のまま きっと隠しきれない 僕の心を映すだろう 君が笑うと 泣きそうな僕を これはおそらく自分の人生を俯瞰した映す自分と映される自分を相手に置き換えて 聴いていくのかなと想像をしてみます。 日頃、佛教が響くかどうか試す相手は連れ合いである妻(;・∀・) 今日も車の中で質問してみました。 私 「 自分が認識する前にすでに相手が先にいるって状況分かる? 」 妻 「 は? どういう意味? (スマホを
本清寺 浄土真宗本願寺派
1月9日読了時間: 4分


Mrs.GREEN APPLEから仏教を考察。
流行の歌をなるべく聴こうと努力はするものの中々聴く時間が取れない(-_-;) そんな言い訳をしながらYOUTUBEでたまたまランダムで流れてくる曲に耳が傾く。 Mrs.GREEN APPLE ご存知ですか? 点描の唄がお気に入りですが、ダーリンという曲が 年末にあがっておりました。バックコーラスに大量の若者が参加されていて 圧倒的な聲の力に自然と涙がポロリ・・・ 映像を見ているとたくさんの方がやはり涙されながら歌われていました。 きっと歌詞に響くものがあるのだろうと検索してみると ( Mrs.GREEN APPLEの歌詞から仏教を考察してみる。) やはり!! このブログでも投稿し続けている《私》 その《私》に苦悩する歌詞がつらつらと 中でも最後の歌詞では 限りある世の中のせいで狂ってる 果てしなく続く時間に燻ってる みんなと同じだからって 僕の 私の ワダカマリが楽になるわけじゃない Darling 本当の音を聴いて やるせない日々の膿は出切らないけど ねぇ 私の私で居てもいいの? あの子にはなれないし なる必要も無いから Darling
本清寺 浄土真宗本願寺派
1月7日読了時間: 3分


新しいスタイルの埋葬方法?
本日は子ども達と東武動物公園に行ってきました! 目的は乗馬。無事2人とも怖がらず乗ることが出来ました。 さて、目的地へ向かっているとやはり目を惹くものはやたら多い看板。 どの看板も樹木葬や低価格の葬儀を勧めるものばかり・・・ 連日、ここに関する投稿ばかりしているので 頭のスイッチがこのような所で入ってしまいます(;・∀・) 昨日は自分の生と死はプロセスであるから 【ここが私の誕生!】、【これが私の死の瞬間!】と定めることが出来ない。 ましてや自分自身がすべて縁によって生じ、変化し続けている存在であるから 『 これが私です! 』と言うことさえ不可能であるという話をしました。 数年ほど前から就活ならぬ終活が流行り始めました。 自分の死に方は自分で決める、遺しておけば家族がそのようにしてくれるはずと 自らのお骨の埋葬場所まで決める方が続出しています。 しかし、それで本当に問題解決でしょうか? 『 これが私である。 』という事が出来ない《私》が、《私のお骨》の埋葬場所を決める。 それは本当に私のお骨になるのでしょうか? 確かにお骨は私を成立させる必要な縁
本清寺 浄土真宗本願寺派
1月6日読了時間: 3分


〜何気ない一言で見えてくる危うさ〜
インスタグラムのストーリーズという機能は便利なもので その日に思いついた法話やSNSで見かけた世間の仏教観のいい加減さへの苦悩など 24時間で消えるので見る人は見るし見ない人は見ないので気が楽です(-_-;) 昨日は令和8年の法語カレンダーの表紙を飾る言葉 《 これからが これまでを決める 》 こちらをテーマに呟くと1人の友人が反応してくれました。 友人O 「 どう いかに 死ぬかですね。 」 私 「 ほぅ。いかにって? 」 友人O 「 悔いなく死ぬ。 」 私 「 死ぬって何? 」 友人O 「それはわかりません。死んだことないから!」 おそらく皆このような答えになるのではないでしょうか。 生や死についてしっかりと答えを持っていますか。その答えは正しいですか。 誰でもいのちは必ず終わる、しかし何が終わるかは分かっちゃいない、 にも関わらず当たり前のように《死ぬ》という言葉を使います。 《これから》とは《いのち終わる事》、この答えが定まらないならば 《これまで》も当然定まらない、これは何か大きな問題にぶつかった時簡単に答えが裏返るという事でも
本清寺 浄土真宗本願寺派
1月5日読了時間: 4分


何が起こるか分からないからこそ!
2026年のテーマは、《佛さまって何?》 今の救いをお伝えするのが浄土真宗の要ですが、ここがイマイチ響かない (自分の実力不足もあるわけですが・・・) ということで何度目かの原点回帰! 「この世で佛さまに成らせていただきましょう。」 →成仏する 「亡き方の為にも善い行いを供養していきましょう。」→成仏させる 「亡き方は、佛さまとなられましたよ。」 →成仏した 一体、佛さまに成るって何。 お寺やお仏壇に安置される仏像のような絵に描かれたような佛さまに成るってこと? 人間のような姿をとって現れるってこと? 佛さまの国がどこかにあるってこと? 考察する若者が増える時代の中でこのような疑問はこれからどんどん出てくるでしょう。 けれどもどの疑問も的外れ。 お釈迦様が生まれたインドではブッダと呼ばれ 中国では佛と読み、意味は覚者。(中国の善導大師は、自覚覚他覚行窮満を佛と示される。) 日本に入り「ほとけさま」と呼ばれるようになる 語源から尋ねていけば明らかなように佛さまとは《何か》に目覚められた方の名称。 存在に付く名前ではなく、《何か》を発見
本清寺 浄土真宗本願寺派
1月3日読了時間: 3分


〜年始参り〜
本清寺の年始参りは2日から一軒一軒ご縁を結ばせていただきます。 各地では大晦日に除夜会(じょやえ)、そして1日に修正会(しゅうしょうえ)が勤められています。それも尊いご縁になりますが一家一家の深い話は難しくなります。 有難いことにお寺の周りから遠近各地でお仏壇が置いてあるご門徒さまが多いので 年始、春彼岸、お盆、秋彼岸と年に4回、また月命日を勤められる方もいらっしゃるので頻繁にお会いする機会が増えます。 さて、本日は新たな問いをいただきました。 日頃は、その方のお連れ合い(奥様)が相手くださるのですが今日はご主人。 そして、そのご主人のお母さん。 以前に奥様からは 『なぜ嫁ぎ先のお仏壇を私が管理しなければならないのでしょう?』 嫁がれた方ならば誰しも抱く問題についてお答えした事があります。 この答えは簡単です。 皆、 お仏壇ではなく先祖壇 として拝んでいるから管理の必要性が問題となるのです。 お仏壇は、御本尊の佛様をご安置し先立たれた方を佛様として敬っていくものです。 しかし、先祖壇として拝むならば血の繋がりがない方は他人になりますから...
本清寺 浄土真宗本願寺派
1月2日読了時間: 4分


令和8年は何を依処にしますか?
街の様子を見てみるとどうやら年が明けたようです。 昨日はテレビで紅白歌合戦、今朝は初日の出を中継する番組が流れていました。 明けましておめとうございます! 私が嫌いな瞬間が訪れる日が大晦日から元旦にかけて・・・ 12月31日中 「今年1年◯◯な年でした。来年こそは◯◯を達成しようと思います。 皆さんにはたくさんお世話になりました。良い年をお迎えください。」 12月31日、残り10秒前 10,9、8、7、6,5,4,3,2,1,0、ハッピーニューイヤー♪ 1月1日0時 「あけましておめでとうございます。 昨年中は大変お世話になりました。今年もよろしくおねがいします。」 (午か何かの写真とともに・・・) そして、初詣ついでに初売りへ。 令和8年は何を依処にしますか? この一連の流れは、完全に時間や暦を現実化して それに合わせて誰も疑いなく当たり前のように過ごしています。 それで問題ありませんか? 時間も暦も人間の創作、確かにスケジュールや季節を知るには便利な道具かもしれませんが 実際には無いもの(自然の周期を数字に当てはめているもの)を有ると信じ
本清寺 浄土真宗本願寺派
1月1日読了時間: 3分


2025年の締めくくりは・・・通夜葬儀を勤め火葬炉で鉢合わせするおかしな光景。これを経験すると疑問が止まらなくなる。
本日はお手伝い葬儀のご縁。 お寺を常にオープンにしておかなければならない理由はここにあり。 人間、いついのち終わるかなんて保証されていない けれどもダブルブッキングやどうしても大切な私用がある時には 助け合うことが出来るのが浄土真宗の強み。 他の宗派では僧侶に位付けがあるみたいなので 袈裟や衣の色で分かってしまうらしい・・・ 昔の笑い話で住職ではない人が参ると怪訝な顔をされるのはこの為だろうか (浄土真宗でも僧班で衣の色が分かれているのも謎だけれど) それはさておき助け合えるのは 同じもの をいただいているから。 僧侶に限らずいのちあるものすべてに南無阿弥陀佛が届いているからこそ 誰かのいのちが終わったならば 通夜葬儀の主役は、いのち終えられた方 だから導師は当然主役、七条袈裟を棺におかけするのも導師だから 読経や法話をする僧侶は、佛さまにお使いとして精一杯導師代理をつとめさせていただくのみ 位分けは無いけれど、ここに努力の差が出てくるだけ だからお手伝いの聲をかけていただけるご縁は嬉しいし頑張ろうと思える お寺で葬儀が終わり荼毘所である近くの町
本清寺 浄土真宗本願寺派
2025年12月30日読了時間: 3分


《やる気スイッチ》
やる気スイッチは入れるものではなく、行動に付随するもの。 だから先に動けばやる気は出てくる。 まさにその通り!! 学生の頃はよくスイッチを探して入らず「明日こそは・・・」なんて先延ばししていたけれど、あの勘違いに早く気づいていれば。とはならないのが若い頃。 しかし、自分でスイッチを入れようとしなくても周りからスイッチを入れられることも多く 最近のインターネット界隈では、誰かの発言に対して簡単に自分の正論を押し付けることが出来る。そして、同じような人が群がり炎上し話題が流れてくることもある。 この坊さん業界(自分だけかな?)でも似たような事が2年に1回のペースで起こる 独り言のように呟いた一言 「 南無阿弥陀佛ってやっぱり有難いなぁ・・・」 どこかの信者「南無阿弥陀佛ということは浄土真宗か何かの方ですか?」 「はい。そうです。」 「どうして南無阿弥陀佛を大切にされるのですか?ご実家がお寺とか?」 「その通りです。育った環境がお寺でした。」 「そうなんですね。でも、南無阿弥陀佛はやめたほうが良いですよ。」 「え・・・そうなんですか。なぜです?」...
本清寺 浄土真宗本願寺派
2025年12月27日読了時間: 4分
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